2016年の初秋、突如飛び込んできた、ココロノアイ引退の報。

屈腱炎を発症し、その完治に時間がかかるため、オーナーの下した決断だった。
レースでは復調の兆しをみせていたばかりのなかでの怪我は、残念でならない。引退後は北海道浦河町にある酒井牧場で繁殖入りとなった。

生まれた牧場に生きて帰り、血を繋ぐこと。

文章にすればシンプルで「たったそれだけのこと」と感じられるかもしれない。
しかし、それこそがどんなに難しく、そして幸せなことか。
ココロノアイの生産牧場でオーナーでもある酒井牧場は、それをよく知っている。

酒井牧場は1940年に牧場を開場しているが、それ以前より馬宿やトロッターの生産・育成など、日本の馬産に関わってきた。1961年にはチトセホープ、ハクショウでオークス・日本ダービーの連覇を達成した事もある名門牧場だ。

その後も活躍馬を輩出したが、導入した牝馬の仔が活躍出来ずに、牧場は低迷していく。

そこに誕生したのがココロノアイの曾祖母にあたる、名牝マックスビューティだった。
1987年、マックスビューティが桜花賞とオークスを制し牝馬二冠を達成。
酒井牧場にとって、実に26年ぶりのクラシック勝利である。

さぞかし皆で喜び、牧場に、浦河に笑顔をもたらしたに違いない。

マックスビューティが引退し牧場に帰ってくると、初仔であるマックスジョリーを出産。
そのマックスジョリーも、母に続けとクラシック戦線に出走し、桜花賞・オークスを3着と善戦した。
その後マックスビューティに後継となる牝馬が生まれず、結局マックスビューティの血を受け継ぐ牝馬はマックスジョリーだけとなった。

これからは引退したマックスジョリーも一緒に酒井牧場を盛り上げていってくれる。

──そう思っていた矢先の出来事だった。

1997年4月、マックスジョリーは初仔出産の際に、その命を落としてしまったのだ。

その時、助かった新しい小さな命。
マックスジョリーが唯一残した産駒が、ビューティソング。
ココロノアイの母である。

そしてココロノアイの祖母マックスジョリーが活躍したのと時を同じくして、酒井牧場出身の名牝がもう1頭いたことを忘れてはならない。

「砂の女王」とも呼ばれる、ホクトベガだ。

マックスジョリーとともにクラシック戦線を賑わしたホクトベガ。
エリザベス女王杯を制した後、一時成績が振るわなかったが、その後ダートに路線変更するとその強さは再度日の目をみる事となった。そんな、ダートで活躍するホクトベガの背に乗っていた人物。

それこそがココロノアイとクラシック戦線をともに戦った、横山典弘騎手だった。

そして。悲劇のドバイワールドカップが訪れる。レース中転倒したホクトベガは左前腕節部複雑骨折となり、予後不良となった。その時の鞍上も、横山典弘騎手である。

──ホクトベガの血を、自分が途絶えさせてしまった。

そんな想いから横山騎手は後悔の日々を過ごしたのは想像に難くないが、酒井牧場のおかげで乗り越えられたという。そんな酒井牧場に、牧場の大切な1頭であるココロノアイを任されたことは、横山騎手にとってとてつもなく嬉しい出来事だったに違いない。

「酒井牧場の生産馬で優勝できたのは本当にうれしいです」

ココロノアイでアルテミスSを勝利した後のインタビューで酒井牧場の名を出したのも、本当に心からの喜びと感謝で胸がいっぱいになったからだろう。

マックスビューティ、マックスジョリー、ホクトベガ、横山典弘騎手……。

様々な物語が絡み合い、皆の愛をたくさん受けて、ココロノアイはまた酒井牧場に帰ってくることが出来た。

これからは代々受け継がれてきたその血を次の世代に繋いでいって欲しい。
大切に、大切に繋がれてきた愛は、夢をのせて、未来へと大きく羽ばたいていく。
これから酒井牧場で生まれる新しい物語は、きっと愛に満ちたものとなるだろう。

1人のファンとして、そうであることを願っている。

写真:ラクト

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