ブログカテゴリ:大嵜直人



「名勝負」を語る · 2019/08/18
札幌の夏は、短い。 皆がそれを知っているからだろうか? ハマナスの花が咲き始めるとどこか焦るように、それでいて何かを振り切るように、皆が思い思いのものを短い夏にぎゅっと詰め込む。 大きな道路沿いにラベンダーやひまわりの顔が揃い始め、朝顔がその美しい花を日に向け、マルヴァの花が背比べを始めると、大通公園の噴水の周りはにぎわいを見せる。...

「名勝負」を語る · 2019/07/11
「一年(ひととせ)に 一夜と思へど 七夕の 逢い見む秋の 限りなきかな」 千年の昔の歌人・紀貫之による、七夕をテーマにした和歌である。 「一年に一度だとは思うのだが、二人が出逢う秋の七夕(旧暦において7月は秋の始まりの月)の夜空は、これから限りなく何度も巡ってくるのだろうな」 という、七夕の夜の情感を詠った和歌。...

「名勝負」を語る · 2019/06/26
何かにつけて、目に映る世界にさまざまな色を付けたがるのが、人の性。 けれども、ほんとうはすべてのものごとには正誤善悪も何もなく、「ただそこに在る」だけなのかもしれない。そこに意味づけを行っているのは、やはり「人」。 目に留まる世界の切れ端から、何を、どんな眼鏡をかけて見るか。そしてその眼鏡は、必ず「自分で」選ぶことができる。...

「名勝負」を語る · 2019/06/02
日本と世界。 「平成」という30年と4か月弱続いた時代に、その関係性は大きく変化した。 よく言われる指標である「ヒト・モノ・カネ」においても、それは顕著だった。 モノとカネを表す経済面において、平成という時代は世界での日本の立ち位置を大きく変えた。...

「名勝負」を語る · 2019/05/26
年を重ねるとともに、人はいろんなものを忘却という海に沈めていく。 忘れることで、人は生きていけるのかもしれない。 けれども、競馬ほど、その忘却の海から追憶を呼び覚ますものはない。 馬券で楽しむとしても、スポーツとして楽しむとしても、物語・ドラマとして楽しむとしても──そもそもが、競馬の愉悦とは記憶と密接に結びついている。...

「名勝負」を語る · 2018/10/21
師走のある日の朝、まだ私が学生の頃。 父の訃報をしらせる電話を受けたとき、私は下宿先で寝ているところだった。 「落ち着いて聞きなさい」と切り出す祖母の方こそ、全く落ち着いていないだろうと妙に冷静だった。 不思議と、悲しいといった感情は湧かなかった。...

「名勝負」を語る · 2018/10/13
1998年9月27日。巨星、堕つ。 ナリタブライアンの訃報は、あまりにも突然だった。 そして、その年の真夏、フランス・ドーヴィル競馬場。 G1・モーリスドギース賞、シーキングザパール・武豊騎手、1着。 G1・ジャックルマロワ賞、タイキシャトル・岡部幸雄騎手、1着。 東西の名手に導かれた日本調教馬が、「世界」の舞台で輝いていた。...

競馬場を楽しむ · 2018/07/27
「牛に引かれて善光寺参り」という言葉がある。 心の貧しい老婆が、庭に干していた布を引っかけていった牛を追いかけているうちに善光寺にたどり着き、そこで信心にめざめた、というようなお話だ。 私の場合は「牛」ではなく、とある記事だった。 オガタKSNさんによる、川崎競馬場の訪問記。

「名勝負」を語る · 2018/06/22
宝塚記念には、不思議な魅力がある。 ダービーも終わり、新馬戦とローカル競馬へと心が切り替わる、その前のエアポケットのような施行時期。まるでその年の春競馬の置き土産のようで、私の心を躍らせてくれる。 梅雨空の下で渋ることの多い馬場状態。 阪神・内回りというクセのあるコース。 短い直線と、2,200mという非根幹距離。...

「名勝負」を語る · 2018/06/02
入梅の報が各地から届き始め、蒸し暑さという感覚を身体が思い出し始めるこの時期になると、私はあの年の安田記念を思い出す。 「おかえりなさい」と「おめでとう」が交錯したあの勝利に、人の出会いの儚さと別れの美しさを思い、杯を傾けたくなる。

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