ブログカテゴリ:2018年12月



2018/12/31
──またこの季節がやってきた。 年末になると、かならず思い返す出来事がある。 この話は、2004年まで遡る。 2004年12月31日。 当時まだ「青年」だった私は、モヤモヤと葛藤していた。 「今日で終わってしまう」 累積赤字により高崎競馬の廃止が決まってからそれまで、ルーチンワークのように、なんとなくボンヤリとした思いで高崎競馬場に通っていた。...

2018/12/25
「アップ、ごめん」 場内に響く悲鳴とどよめきを耳にしたときから、何も言えず、ただ行く末を見つめていた。 そのすぐそばで新たに誕生した障害王者が、あたたかい拍手と声援とともに讃えられていた。 屈腱炎を克服し、幾多の死闘を繰り広げてきたニホンピロバロン。...

2018/12/22
1995年3月5日、中山競馬場。 この日に行われた弥生賞で、衝撃的なレースぶりからクラシック皐月賞への最有力候補へと名乗りを挙げた1頭の名馬がいた。 2歳王者となった前年末のレースも、逃げ馬を射程に捉え、追い込んでくるスキーパラダイスをクビ差抑えるという正攻法の競馬だった。 その王者たる走りは、多くの競馬ファンを虜とした。...

2018/12/21
2015年12月26日、中山大障害。 一頭の競走馬が──障害界の一時代を築いた名馬が、競走中の事故でこの世を去った。2013年中山大障害・2014年中山グランドジャンプとJ-G1連覇を達成した誇らしげな姿を、ふと思い出す。そんな彼の才を最大限に引き出した中山の障害コースが、皮肉にも彼の最期の地となった。

2018/12/20
事の発端は、その1ヶ月前に遡る。 小倉サマージャンプを現地観戦すべく準備を進めていた矢先に発生した台風12号──東から西へ逆走するという異例のコースを辿ったこの台風が、よりによって週末に九州北部を直撃したのだ。...

2018/12/18
2018年12月2日、チャンピオンズカップ(GⅠ)が行われました。そこでは3歳馬のルヴァンスレーヴ(美浦・萩原清厩舎)が1番人気に応え、見事優勝。3歳シーズンを終えて8戦7勝──さらにはたった一度の敗けも2着、という素晴らしい戦績はまさにチャンピオンに相応しいものでしょう。そんな若き王者が初めて挙げた重賞勝利──それが全日本2歳優駿でした。 今や2歳ダートチャンピオン決定戦としてお馴染みのこのレース。 歴史は古く、1950年に「全日本三才優駿」として、川崎競馬場で実施されたのが始まりでした。その後は1400M、1600Mと徐々に距離を延長しながら、名称も「全日本3歳優駿」(1988年~)と改めた後、さらに2001年に馬齢を国際基準に合わせ、現在の「全日本2歳優駿」へと変わりました。また、1997年には既に全国指定交流競走になっていましたが、2002年からはダートグレード競走のGⅠに格付けが上がり(現行表記はJpnⅠ)、それに従ってそれまで以上に実力馬が集う「名レース」へと進化します。 過去の優勝馬にはアベイ・ド・ロンシャン賞(仏GⅠ)を優勝したアグネスワールド(1997年)、天皇賞・秋やフェブラリーステークスを勝利したアグネスデジタル(1999年)、マイルCS南部杯を制したユートピア(2002年)、帝王賞や川崎記念を勝ったフリオーソ(2006年)、上述のルヴァンスレーヴなど、その後も大活躍した名馬が名を連ねています。 その他の優勝馬も、長く重賞戦線で好走する馬が多く、どちらかと言えば早熟傾向な馬が勝ちやすい「2歳重賞」のイメージとは少々異なる印象です。今回はその豪華多彩な優勝馬から、3歳時には南関東の唯一の四冠馬となり、フェブラリーステークスでも2着と好走したトーシンブリザードを取り上げます。

2018/12/15
競馬ファンの方々にとって「ラフィアン」といえば、どんなイメージが浮かぶでしょうか? マイネル・マイネの冠名。 岡田総帥。 2歳戦に強い! ……と言ったところでしょうか。 実は近年ラフィアンでは、繁殖牝馬になる事を意識してか、冠名を使っていません。 マイネという冠名のイメージによって、産駒の価値が変わらないようにするためでしょう。...