2016年、3月26日。日本競馬界が歓喜に沸いた。
様々な条件での世界最高峰レースが1日で立て続けに実施される、毎年恒例のビッグイベント「ドバイミーティング」が、ドバイ首長国連邦のメイダン競馬場で行われ、日本馬2頭が見事優勝したのだ。
しかもそのうちの一つ、UAEダービーの勝利は、日本調教馬にとって初の勝利という快挙である。
日本競馬史に刻まれる快挙
UAEダービーを勝ったのは、栗東・松永幹夫厩舎が管理するラニ(牡3)。
2006年のフラムドパシオンに始まり、これまで10頭もの日本馬が果敢に挑むも敗れ続けてきた舞台で、型破りな勝利を演じた。
UAEダービーは、UAE(ドバイ首長国連邦)が南半球の馬齢を基準にしているため、日本を含めた北半球よりも約半年早く産まれた競走馬も出走している。
そのため、仕上がりや成長力に大きな差がある。
また近年、海外遠征に強いアメリカ産馬の独壇場となりつつあるこのレースを勝利したことは、とてつもなく大きなものであり、日本競馬の未来を大きく切り開くものであることは間違いない。
今回のレースには、絶対的な本命馬がいた。
名前はポーラーリバー。
ポーラーリバーは、地元で調教されている3歳牝馬である。
UAEダービーまで3度の大差圧勝を含む4戦4勝で、前売りオッズから圧倒的な支持を集めていた。
牝馬は牡馬よりも斤量(ハンデ用のおもり)が軽いので、これを打ち負かすのは容易ではなく、相変わらず立ちはだかる壁の大きさを感じる戦前だった。
しかし、ポーラーリバーの前走UAEオークス(ダート1900m)では、前々走のUAE1000ギニー(ダート1600m)の13馬身差圧勝から、一気に着差が減っていたことで、ラニにも付け入る隙はあった。
しかしゲートが開くと、ラニはスタートで躓いてしまうというアクシデントに見舞われ、後方からの競馬となる。
ラニのパートナーとなる武豊騎手は、レースの中盤、落ち着いた緩やかなペースを見て一気に先頭に並びかけるという強気の策を選択した。
そしてそのままの体勢で最終コーナーを曲がり、直線に入る。
早めのスパートで消耗したのか手ごたえはあまり良くなかったが、残り100mで再びエンジンに火がつき、逃げ粘る日本馬ユウチェンジを捉える。
そのまま勢いを保ったラニは、満を持して外から伸びてくるポーラーリバーの追撃をも完封し、先頭でのゴールを果たした。
名手武豊騎手の好騎乗・好判断も然ることながら、それに応えたラニには、無限の可能性を感じる。
世界に挑むためのステップ
国内でのレースから高い素質を見せていたラニ。
芝でのデビュー戦で4着だった後にすぐ見切りをつけダートに転向。3戦目の阪神ダート1800mで勝ち上がった。その後連闘と遠征も軽くこなす無類の精神力を見せる。
数々の名馬の背中を知る武豊も「能力は相当」と舌を巻くラニを、ファンは、引退した名馬になぞらえて「砂のゴールドシップ」と呼んでいる。2頭の毛色が同じ芦毛という理由だけではなかろう。
この呼び方からも、ラニへの大きな期待がうかがえる。
早いうちから、ノースヒルズ前田幸治代表は「UAEダービーに行き、勝ったらケンタッキーダービーに行きたい。」と明かし、陣営もそれに向けて準備を進めていた。
しかし年明け、UAEダービーの叩き台として選んだ2月末のヒヤシンスSでは3コーナーから大きく捲るも直線では前を交わせず、5着に敗れる。
ドバイからの招待が危ぶまれたが、3週前にして招待が届き、滑り込みでドバイ行きが決定した。
ラニの力を信じ、辛抱強く招待を待った陣営は本当に素晴らしいの一言に尽きる。
それからは順調そのもの。無類の精神力が海外でも発揮され、環境の変化にまったく動じなかった。これは世界で戦う上でとても有利な武器であるだろう。
大きな勝利で、大きなステップを踏み、大舞台へ一気に駆け上がる準備は出来た。
ラニの個性 世界トップクラス
実績でもファンの心を掴みつつあるラニだが、デビュー前の評判も高かったラニは、新馬戦から注目の視線を浴びた。
それだけにこの馬の強烈な個性が競馬ファンに知れるのは、あっという間だった。
レース前のパドックでは他の馬に発情してしまったり、レースでもスタート直後から全くやる気を出さずーーーーかと思いきや、
3コーナーから全力で走りだしたりと、見る者の心をある意味”インパクト”ある走りで掴んでいっている。
ドバイに渡ったあとも、同じ馬房で過ごしている他国の競走馬を咆哮で威嚇するなど、その特異なキャラクターはワールドクラスになりつつある。
強烈すぎるけど、なんだか憎めない、
そんな個性がレースに行くと世界を驚かすほどの強さに変わる。こんな馬はそうそういないだろう。
活躍の予感を確信へ変える偉大な父の存在
ラニの父Tapitは2014年の北米のリーディングサイアー(年間トップの成績を収めた種牡馬)である。
初年度産駒からアメリカのダートG1で大活躍し、リーディングサイアーを獲得した翌年には、種付け料が30万ドル(日本円で3000万円)にまで達した。
日本でもテスタマッタがフェブラリーSを制すなど世界中のどこでも結果を出せるオールラウンダー的な面も持ち合わせており、誰もが認める名種牡馬であるだろう。
父の確かな実績が、ラニのスケールの大きさを裏付けている。
チャレンジングスピリットが拓く道
ラニの母ヘヴンリーロマンスは、2005年の天皇賞(秋)、天覧競馬を14番人気で勝利した。
2006年、生まれ故郷ノースヒルズマネジメントで繁殖生活をスタートさせた後、2010年1月に、ジャングルポケットの仔を受胎した状態でアメリカに渡った。
ヘヴンリーロマンスを現役時代から所有している、ノースヒルズ前田代表の「サンデーサイレンスの牝馬にはアメリカの種牡馬を付ける」という方針のもと、現在では2002年のスプリンターズSを勝ったビリーヴもアメリカで繁殖生活を送っている。
ノースヒルズは「チャレンジングスピリット」というテーマを掲げ、日本競馬のレベルの向上に尽力している。その努力が、実を結び始めているのである。
日本競馬は1990年代に突如として現れた「父サンデーサイレンス」の席巻により、実績を残し繁殖に上がっている繁殖馬の多くにサンデーサイレンスの血が入っている。
こうした歴史から、「非サンデーサイレンス」を求めることが容易ではなくなってきている中、こういった海外での繁殖生活を送り新たな地と血を求めるということが、今後の日本競馬の鍵を握っているのではないだろうか。
そして、それを実行し、結果に結びつけたノースヒルズは、今後も日本競馬をリードしていく存在でなければならないと感じる。
母ヘヴンリーロマンスは名牝へ
ノースヒルズのさらなる上昇に欠かせない存在となったヘヴンリーロマンス。その仔たち、
アメリカに渡ったとき授かっていた父ジャングルポケットのアウォーディー(牡6)、アメリカに渡ってからの初の相手、Smart Strikeとの仔アムールブリエ(牝7)の2頭も、ダートの重賞ウィナーとして、日本のダート戦線を賑わせ、今後のさらなる飛躍が期待されている。
ヘヴンリーロマンスは現役時、未勝利の2戦と5歳時に出走したフェブラリーSしかダートレースは走っていないが、ノースヒルズの手腕と合わせて、ヘヴンリーロマンスの優秀な繁殖能力にも頭が上がらない。
天皇賞(秋)を勝っただけでも立派な名牝だが、さらに歴史に名を残すことになるかもしれない。
縁ある血統、確かな”絆”
そんな名牝ヘヴンリーロマンスの現役時、背中に跨っていたのは、現調教師で、ラニを管理する松永幹夫氏だ。ラニの他にも、ヘヴンリーロマンスの仔はすべて松永幹夫調教師が管理している。
そしてラニやアウォーディーの鞍上には、松永調教師と旧知の仲であり、近年はノースヒルズの主戦騎手と言ってもいい武豊騎手がいる。
私は、ノースヒルズのこういった粋な部分がたまらなく好きだ。
個人的な感情になってしまうが、かつての日本競馬に見られた情のこもった勝利は少なくなったと感じる。世界を目指すに連れて、外人が多く起用される時代になったから仕方ないとも言えるが、こういう時代だからこそ、こういった縁や絆を大切にするコンビの活躍が多く見られるようになるといいと思う。そういう意味でも、ラニ陣営には注目していきたい。
ラニが目指す、世界の大舞台
ノースヒルズ前田幸治代表は、ラニがUAEダービーを勝利したあと、すぐに「ケンタッキーダービーに行きます。」と明言した。
キズナで日本ダービーを勝った時も凱旋門賞行きを即決したように、こういうところに見る男気が、競馬への熱い思いを感じさせる。
ラニと武豊騎手がこの男気に応えられるかどうか、楽しみでたまらない。
ケンタッキーダービーはアメリカ競馬の長い歴史の中で、このレースなしでは語ることが出来ない伝統あるG1競走だ。アメリカ競馬3冠レースの1冠目として位置づけられるこのレースを勝った馬は、その後のさらなる活躍が約束されていると言っても過言ではない。
アメリカ競馬史に名を残した多くの名馬が、このレースを勝利しているのだ。
武豊騎手にとっても、1995年に、ラニと同じ芦毛のスキーキャプテンで挑んで(14着)以来、実に21年ぶりのケンタッキーダービー参戦となる。
常に世界の高みを目指す武豊騎手にとって、ケンタッキーダービーに騎乗できることは、この上ない喜びであると思う。
そのケンタッキーダービー(G1ダ2000m)には、ナイキストという無敗の2歳チャンピオンが参戦予定だ。
前走のフロリダダービー(4月2日 G1ダ1800m)では、ともに無敗でレースを迎えたモヘイメンという馬を軽くひねり潰した。
最後は流しながらもタイムは1:49.11と好タイムで走破している。
2歳チャンピオンのタイトルを手中に収めた、ブリーダースカップジュヴェナイルでもレースセンスの高さを武器に快勝しており、大胆な競馬が強みのラニにとっては強敵中の強敵となるだろう。
ラニにはもちろん、アメリカの一流馬の走りにも、ぜひ注目してもらいたい。
そして、アメリカに、世界に衝撃を与え、さらなる高みへ登り詰めるか、世界の大舞台に挑戦するラニと陣営に熱い視線を送りたい。
ケンタッキーダービーは日本時間の5月7日、チャーチルダウンズ競馬場で行われる。

5着に敗れたヒヤシンスSでレース前の返し馬をするラニと武豊騎手。
文と写真・ゆーた