ファレノプシス〜可憐なる輝き〜

ファレノプシスの訃報が届いた。

その報らせを受けた時、私は少し息をのんだ。

21歳。大往生である。胡蝶蘭(ファレノプシス)と名付けられた馬は、長く可憐に咲き誇った。

「幸せが飛んでくる」という花言葉を持つファレノプシスは、丈夫で生命力が強く世話しやすい事から、新たな門出を祝う贈答花としても有名である。しかしそんな馬名とは裏腹に、彼女は体質の弱さからデビューが危ぶまれた馬であった。

可憐なる才女

幼い頃のファレノプシスは、弱々しい牝馬であった。競走馬にとってパワーの要である後躯が未発達で、デビューすら危ぶまれるほどだった。

事実、ビワハイジなどを送り出した名伯楽・濱田調教師は、その能力に疑問符を示していたという。

しかし周囲は彼女のデビューを諦めなかった。いや、彼女が周囲から「諦めてもらえなかった」というのが正しいのかもしれない。

彼女は、この世に生を受ける、その前から期待されていたのだ。

あまりにも高い期待値。

彼女に流れる血は、それほどのものだった。

勝者の血

ファレノプシスを語る上で非常に重要な存在がいる。

ナリタブライアン――日本競馬史上5頭目の、三冠馬。その圧倒的な走りで多くのファンを魅了した、語り尽くせない程の名馬。

母パシフィカス、父ブライアンズタイム。

その兄はG1を3勝しているビワハヤヒデ(父シャルード)。

そして母の母はパシフィックプリンセス。米・デラウェアオークスの勝ち馬という現役時代の成績に加え、母Fiji(コロネーションS勝ち馬)から受け継がれてきた勝者の血脈は言い表せないほどの価値があった。

そして同じくパシフィックプリンセスの仔であり日本で繁殖牝馬となったのが、キャットクイル。そう――ファレノプシスの母である。

ファレノプシスの血統に目を向けてみると、母キャットクイル(その母パシフィックプリンセス)、父ブライアンズタイム。

ナリタブライアンと四分の三の同血を持つ馬なのだ。嫌が応にも意識してしまう、クラシックでの活躍。そしてその血統に呼応するように、デビューが近くなるにつれ彼女は少しずつ丈夫さと競争能力を手にしていった。

美しく、そして強く

2着に9馬身差・2歳レコードタイムでの圧勝。

これが、彼女が我々に見せた、初めてのレースである。ファレノプシスは、過剰なほどの周囲からの期待を、さらに超えたデビューを飾った。

その後も連勝を重ね、負けなしで挑んだ4戦目、疲労により痩せ細った馬体が影響したのか、初の敗北を喫する。やはり無理はさせられない、そう思わせる敗北だった。2戦目には428キロまで増やせていた馬体重も、軽い414キロまで減っていた。大型馬ならともかく、小柄な彼女にとって14キロの違いは大きかったのだ。ファレノプシスの繊細な一面が、大一番を前にして再度露見した。

本番は、桜花賞は、大丈夫なのか。

心配するファンも多い中、桜花賞のパドックに現れたのは、体重を10キロ増量させて華やかな雰囲気すら漂わせる牝馬だった。陣営の努力が花開いたのだろう。

万全ともいえる体調で臨んだ桜花賞で、ファレノプシスはあっさりと勝ち星を手に入れる。圧倒的な追い込み。可憐だが、素晴らしいスピードと切れ味を見せてのG1制覇だった。

それは、「ナリタブライアンの従兄妹」から、「快速馬・ファレノプシス」へと周囲が広く認識した瞬間でもあった。

秋には秋華賞という2つ目のタイトルを手にして二冠牝馬となり、さらには最優秀4歳牝馬(現在の最優秀3歳牝馬)に選出されたことで名実ともに同世代牝馬の頂点に立った。

その姿はどこまでも晴れやかに、美しい花を咲かせ続けるように思えた。

胡蝶蘭は二度咲く

同世代の代表として挑んだ5歳シーズン、さらには6歳シーズンと、ファレノプシスにとって幸運が続いたとは言いがたい。

目標としたレース直前の熱発や蕁麻疹。脚部不安での長期休養や球節炎。直線やレース展開での不利もあった。そのなかで10着という大敗も、二度経験した。苦しい時期だった。だが、陣営は諦めなかった。なんとしても彼女に獲らせたいタイトルがあったのだ。世代の頂点から、牝馬全体の頂点ーー女王に。様々な工夫をしながら、大目標への調整は進められた。

そして、引退レースが発表される。

6歳、秋、エリザベス女王杯。

4歳時に快勝した秋華賞から、丸2年以上勝ち星からは遠ざかっていた。

さらに、その年のエリザベス女王杯には、まさに決定戦と呼ぶにふさわしい多彩なメンバーが参戦した。

前年度、4歳馬ながらタイトな日程をこなしエリザベス女王杯で2着となったフサイチエアデール。

翌年、世界最高峰レースのひとつであるドバイワールドCで2着となるトゥザヴィクトリー。

オークス馬からはウメノファイバー・シルクプリマドンナの2頭が参戦を表明。秋華賞馬ブゼンキャンドルや桜花賞馬プリモディーネも虎視眈眈とタイトルを狙っていた。

のちにカレンチャンの母となるスプリングチケットや良血馬クリスマスツリーなどの期待馬も顔を揃え、まさにその年の集大成ともいえる充実した面々であった。

しかしその強豪たちを、ファレノプシスは正面から押しのけ、堂々の勝利を飾ったのだ。ついに手に入れたエリザベス女王杯勝ち馬という称号。か弱い印象の強かった牝馬は、女王の座に上り詰めたのだ。そのたった1度の勝利のみで2000年度の最優秀5歳以上牝馬に選出されたことからも、価値の高さはうかがえる。

引退レースでのファレノプシスの馬体重は、440キロであった。脚への負担を考えてダート1200mでのデビューだった牝馬が、ラストランでは芝2200mを力強く走り抜けたーー長い長い雌伏の時を経て、可憐な花から、力強い花へと美しい成長を遂げたのだ。

広がっていく牝系

花の胡蝶蘭は配合が簡単な事も後押しし、無数の種類があるという。

繁殖牝馬として、母系をどこまで伸ばせるかに思いを馳せながら、このエッセイの締めとしたいと思う。

ファレノプシスは今年の春にヴィクトワールピサとの仔を産んだ事で、11頭ものサラブレッドの母となった。そしてそのうちの9頭が牝馬である。その9頭の牝馬は、父サンデーサイレンス・父ダンスインザダークがそれぞれ2頭ずついる他は、フジキセキ・スペシャルウィーク・アグネスタキオン・マンハッタンカフェ、そして先述したヴィクトワールピサと、満遍なくサンデーサイレンス系の種牡馬を父に持っている。

ファレノプシスという一大母系を築く軸となるであろう血脈に、あくまでサンデー系を混ぜ込む事にこだわった理由は、私のような素人には知る由もない。だが、そのこだわりに対して、不安ではなく期待を持ちたいと思う。きっと大きな花をつける、その前準備なのだと。

G2フィリーズレビューで2着のラナンキュラス(父スペシャルウィーク)には、現在エンパイアメーカーやルーラーシップが配合されている。G3のKBSファンタジーSで3着経験のあるアディアフォーン(父ダンスインザダーク)にも同じくエンパイアメーカーが配合されているが、スペシャルウィークの血とダンスインザダークの血が異なる影響を及ぼし、よりバリエーションのある一族となっていくであろう。しかもエンパイアメーカー産駒はどちらも牝馬。引退後も非常に楽しみだ。

他にもファレノプシスの孫娘の父には、ファンタスティックライト・クロフネ・ルールオブロー・マイネルラヴ・ストーミングホーム・ワークフォース・ワイルドラッシュ・トランセンド・ヨハネスブルグと、非常に多彩な種牡馬達が名を連ねている。第二のファレノプシスとなる馬や、第二のナリタブライアンを送り出す母となる馬が、きっとここにいるはずだ。

更には弟でありダービー馬であるキズナの後継種牡馬との配合で、ファレノプシスの母であるキャットクイルのクロスも までも実現可能だ。

ファレノプシスやキャットクイルの血は、拡散され、また収束されながら、太く永く、日本競馬界の一大母系の幹となっていくのかもしれない。

子孫の行く末を、ずっと見守っていきたくなる。

ファレノプシス。

本当に、華麗なる感動をありがとう。

文・横山オウキ

写真・がんぐろちゃん