戦い続けた美麗なる騎士・ナカヤマナイト

一頭の美しい栗毛馬が、競走馬としての生活を静かに終えた。
2013年中山記念、2012年オールカマーを勝利し、その名の通り中山での強さが光る馬。
8歳牡馬、ナカヤマナイトである。
昨年発症した屈腱炎が再発したため引退の運びとなり、先日の七夕賞がラストランとなった。

父は、皆に愛され種牡馬としても成功したステイゴールド。
そのステイゴールドを父に持つ三冠馬・オルフェーヴルとナカヤマナイトは同世代だ。
そう言われると、8歳というその年齢を改めて実感するかもしれない。
オルフェーヴル産駒がデビューする前年まで、ナカヤマナイトは走り続けたことになる。

ナカヤマナイトは2008年の3月24日生まれ。
実は、父であるステイゴールドと誕生日が一緒である。
生涯成績37戦6勝(海外含む)は50戦した父には及ばないが、「長い旅路」と称される父の現役生活より半年ほど長く競走馬として過ごすことができた。

わたしは2010年のデビュー当時からナイトを応援し続けてきた。
大好きなステイゴールドの子で尚且つ誕生日も一緒という偶然は、応援するのに十分過ぎる理由だった。
しかしそれより何より、わたしはその美しい馬体にすっかり魅了されてしまっていた。

黄褐色の馬体を流れる、少しだけ色素の薄い美しいたてがみ。
額から鼻にまっすぐ続く白斑は、しっかりとした意志の強さを感じさせる。
まるで、彼の長い競走馬としての馬生を表しているかのようだ。
いつもキリっとしている目元は、まさにイケメンそのもの。
時にはその瞳を鋭く光らせ、内に秘めた気合を放出させていた。

ナカヤマナイトは、わたしにとっての競走馬のイメージそのものだった。

栗毛というのは、いかにも馬らしい色だとわたしは思う。
小学生の時に宿題で描いたゼッケン付きの馬も、茶色い栗毛の馬体だった。
幼いころから思い描いていた、競走馬のイメージ。
それがナカヤマナイトの外見にぴったり合致したのだ。
そんな理想の競走馬・ナカヤマナイトとの思い出は、圧倒的に2着のレースが印象的である。

ひとつは2歳オープン競走であるホープフルステークス。
この年、2010年のホープフルステークスは、ステイゴールド産駒3頭出しだった。
フェイトフルウォー、マイネルメダリスト、そしてナカヤマナイトだ。
わたしはこの3頭を夢中になって応援した。
ステイ産駒最先着となったナカヤマナイトは、1着ベルシャザールにハナ差の2着だった。
しかしわたしは、そんな僅差でナイトが負けたことがすぐにはわからなかった。
冬の冷たい空気の中、夕陽を映して揺れるナイトの尻尾ばかりを見つめていたからだ。
それは時が止まってしまうのではないかと思うほど、美しい揺らめきだった。

もうひとつは、昨年2015年の新潟大賞典である。
鞍上に外国人女性騎手であるリサ・オールプレスを迎え挑んだ一戦。
始終好位置につけて、最後の1ハロンを過ぎる時点では6頭ほどが横並びの大混戦。
最初に抜けだしたのが、なんとナカヤマナイトだった。
ナイトが先頭に躍り出た瞬間は、ファンなら誰もが夢を見たことだろう。
けれど2年3ヶ月ぶりの勝利は、1.1/4馬身届かなかった。

また、4着に敗れた2011年日本ダービーも思い出深い。
不良馬場で泥まみれになりながら、このレースを優勝しのちの三冠馬となったオルフェーヴル相手に最後の直線、一歩も引かぬ、まさに体当たりの競馬をしてみせた。
オルフェーヴルの方を心配してしまうほどのその迫力は、ナカヤマナイトの魅力とも言えるだろう。

そんなナカヤマナイトの引退を知り、正直ほっとしたファンも多いと思う。
わたしもその中のひとりだ。
善戦マンというわけでもなく、ここ近年の競走戦績は決して良いとは言えない。
もう休ませてあげてもいいのではないか。
そんな想いを全く抱かなかったわけではなかった。
昨年、屈腱炎を発症した時点で引退するのかとも思った。
8歳というのも、心配になってしまう要素の一つだ。
けれどもファンは皆、もう休ませてあげたいと思う一方で、美麗なる騎士が再び一番にゴールする瞬間を夢見ていた。

出来ることならば走れるだけ、走って欲しい。けれど無理はしないで。

そんな我儘ともとれるファンの純粋な想いを背に、ナイトは走った。
ナカヤマナイトはわたしたちの想いを守るために戦い抜いた騎士、そのものだった。

ナイト、今までわたしたちの想いを守るために戦ってきてくれてありがとう。
戦場で戦う必要がなくなった今、ナイトがその重い甲冑を脱ぎ捨てる時が来たことに、皆心から安堵していることだろう。
これからの余生が穏やかなものであるよう願いを込めて、最大級の感謝の念をわたしたちの騎士に捧げる。
文・笠原小百合
写真・ウマフリ写真班