ラニの歴史的挑戦を振り返る① ~洗礼と奮闘〜

約3か月前、ラニのUAEダービーの制覇をこのウマフリで振り返ったことが、とても懐かしく感じる。それほど有意義で、濃い2か月間だった。

 

3月26日。ドバイの地で歴史的勝利をあげた時から、ラニの米国3冠の道のりは始まった。

 

私は1人のファンとして、遠い日本から声援を送っていた。SNSなどを見ていると、日本時間では朝早くの出走であるにもかかわらず、多くの競馬ファンがアメリカに熱い声援を送っているのを感じ、競馬ファンでよかったと心から思った。

 

今回このような貴重な体験をさせてくれたラニの米国3冠挑戦を、こういった形で振り返れることをとても嬉しく思う。

 

・米国3冠にすべて出走する快挙

 

今回ラニがフル参戦した米国3冠レースは、1冠目がアメリカ3歳馬の多くが目標にするケンタッキーダービー(ダート2000m)、2冠目が歴史はケンタッキーダービーも深いプリークネスステークス(ダート1900m)、そして3冠目がタフさが存分に問われるベルモントステークス(ダート2400m)となっている。もちろんすべてG1レースだ。

 

それぞれのレースの間隔が、1冠目→2冠目が中1週、2冠目→3冠目が中2週と、日本の三冠レースと比べてもとても過酷なスケジュールで構成されている。そのため、3冠全てのレースに出ることすら、現地の競走馬でも毎年1頭いれば良いくらいだ。事実、昨年全レースに出走したのは、37年ぶりに米国3冠を達成したアメリカンファラオだけである。その過酷な条件である3冠全てのレースに、日本から、しかもドバイを経てからの渡米で出走したラニは、これまでの常識では「ありえない」快挙を成し遂げたという事になる。

 

ここからは、ラニが参戦した3つのレースを、順に振り返っていきたい。

 

〇1冠目、ケンタッキーダービー

 

・無類の精神力、世界でも

 

ドバイからアメリカに直行したラニは、イリノイ州にあるアーリントンパーク競馬場に入ってから、ケンタッキーダービーの舞台となるチャーチルダウンズ競馬場(ケンタッキー州)に輸送された。この2区間の移動だけでも、調べてみると331マイル(約532キロ)もの距離があった。日本で言えば、東京~大阪間よりも長い。アメリカの国土の大きさが垣間見える数字だ。このあと、ラニは3冠レースを走り終えるまで、このような長い距離を何度も移動することになる。

 

しかしながら、500キロ超の輸送にも全く動じることなく、もりもりとエサを食べていたという報道しか聞こえてこなかった。本当にすごい馬だと改めて実感した。慣れない環境への動揺など、ラニには存在しなかった。

 

・本番までの険しい道のり

 

慣れない環境などないラニにも嫌いなものはある。それは「馬」だ。人間が、同じ人間を嫌い群れることを拒むように、馬にもそういうことがあると、ラニが教えてくれた。

 

チャーチルダウンズに入ってから、ケンタッキーダービーに向けて調教を開始したラニ陣営は、日本とはまったく違う現地のルールに翻弄されることもしばしばあったようだ。さらには先述したラニの馬嫌いも顔を出し、すれ違う馬や人に咆哮したり、武豊騎手を乗せての1週前の追い切りでは他馬を気にして急に止まったり、個性とも言える部分が裏目に出てしまう事が多かった。本番までのその道のりは、決して楽なものではなかったのだ。

 

まったく無関係の私が言うのはおこがましいかもしれないが、ラニをずっと現地で支えてきたスタッフの方たちの苦労は計り知れないものがある。そういう意味でも、無事に3冠レースを終えられたことが何よりの勲章であり、私たちが敬意を表さなければいけない点だと感じる。

 

・そして迎えた、第142回ケンタッキーダービー。

 

ようやく迎えられた当日。コースは直前に降った大雨の影響で、ぬかるんだ馬場になってしまっていた。これまで、レース序盤で後方に置かれてしまう傾向をみせていたラニは、アメリカのスピード競馬に対応できるかが懸念されていた。それに輪をかけるように足抜きのいい速い時計の出る馬場状態になってしまい、思わしくない状況だった。

 

戦前から最も有力視されていたのは、2歳チャンピオンで、前哨戦のフロリダダービーも快勝したナイキスト。血統面から距離不安もささやかれていたが、単勝オッズでも堂々の1番人気だった。その他、フロリダダービーで4着に敗れるまで5連勝で来ていたモヘイメン、サンタアニタダービー(ダート1800m・G1)の勝ち馬イグザジェレイター、ルイジアナダービー(ダート1800m・G2)の勝ち馬ガンランナーなどが人気で続いていた。

 

気になるラニはというと、だいたい14番人気くらいで、人気薄な存在だった。しかし、ラニの強烈な個性は、アメリカ入りして間もなく競馬サークルに知れ渡っていたため、現地でも注目している人は少なくなかったようだ。

 

ラニは前述したように「馬」嫌いで、ドバイの時はオフィシャルに「クレイジーホース、先に行け」とパドックで周回させてもらえなかったほどである。それを受けて陣営が、今回も馬場への先出しをオフィシャルに依頼したが「馬場入場は伝統だからダメだ」と拒否されてしまった。しかし、案の定パドックでの周回もままならず、結局、馬場に先出しされたのだった。

 

ラニがすでに馬場入りした後、出走馬の入場が、16万人の観客の「My Old Kentucky Home」の大合唱に合わせて始まった。アメリカのホースマンはこの瞬間を夢見て日々過ごしているのだ。その夢のようなひと時に、日本の競走馬と、日本のジョッキーがいた。

 

そんなこんなで、時間にルーズな海外競馬らしく発走予定時刻より15分ほど遅れて、レースがスタートした。

 

ラニは8番枠からスタート。いつも通り、すぐに2馬身ほど遅れ、早くも武豊騎手の手が動いている。気になる前方の展開は、大外枠からダンジングキャンディがハナを奪い、好スタートから人気のナイキスト、ガンランナーが続く。ラニは向こう上面からエンジンがかかりだし、いつものように馬群の大外を捲りにかかる。しかし、半マイル45秒台の、ラニにとっては異様なほど速いペースが、勝負所でさらに上がり、ついていくのが精一杯。4コーナーではナイキストとガンランナーが早くも逃げ馬を交わし先頭に立った。そしてそのままナイキストが、後方の内で脚を溜めて馬群を縫うように追い込んできたエグザジェレイターの追撃も封じ、人気に応える無敗のダービー馬となった。ラニは、4コーナーで内側を走る馬が外に膨れるという不利を受けたこともあり、直線追い上げるも9着に終わった。

 

ラニにとっては、馬場、頭数、ペースと、全てが厳しい条件になり、それでも健闘の9着だったといえる。武豊騎手は「最後はいい脚だったが、止まってしまった。いいレースはできた」と話し、次戦への手応えを掴んでいた。

 

当初の予定では、ケンタッキーダービーの後は、ベルモントステークスまで間隔を空ける予定だった。それは、過酷なローテーションを避けるというだけではなく、2冠目のプリークネスステークスはケンタッキーダービーよりも距離が100m短くなることや、レースが行われるピムリコ競馬場の小回りなコース形態がラニの競馬に向かないという見方によるものでもあった。

 

しかしレースの後のラニのいつもと変わらない様子を見て、陣営はプリークネスステークスへの出走を決断。ラニの間隔を詰めた方が、調子が上がるという特性も考慮してのものだった。

 

そしてその決断は、結果的に英断であった事になる。

 

 

○二冠目、プリークネスステークス

・衝撃の片鱗

 

先述の通り、激戦の1戦目を終えたあともラニの食欲は落ちなかった。前半であまり力を出していないというのも、この状態の一因だったのかもしれない。

 

2冠目のプリークネスステークスが行われるのは、メリーランド州ボルモティアというところにあるピムリコ競馬場だ。最終戦のベルモントステークスが行われるベルモントパーク競馬場から6時間ほどで行けるため、プリークネスステークスの出走が決まってない段階でも、最終戦に向けて、ラニはすぐにチャーチルダウンズからベルモントパークに空輸されていた。

 

ラニが身を移したベルモントパーク競馬場は、広大な土地に広大なコースという立地。そこでラニも伸び伸びとトレーニングができていたようで、調子はさらにあがり、期待は高まっていった。

 

日本ではオークスが行われる5月22日の朝、午前7時半過ぎ。レースの発走が近づいた。ラニはコースに出るとき、現地の観客からブーイングを受けたという。お国柄なのか、歓迎の裏返しなのか。私は、全く注目されないよりは悪い気がしない、と感じた。

 

当のラニは、動じることなく堂々と歩いていたようで、本当に大した3歳馬だと思う。

 

ケンタッキーダービーが終わったころからラニは、本格的に現地メディアで「ジャパニーズビースト(日本の野獣)」や「ゴジラ」などと取り上げられるようになり、その特異なキャラクターを浸透させていった。

 

そんな中、日本のファンが一番心配していたのが現地ピムリコ競馬場の天気だ。そしてその心配は、最悪の形で現実となった。

 

当日のピムリコ競馬場は直前まで長く降り続いた雨で、映像でもわかるどころか、今まで見たことのないような、水が浮きに浮いた超泥んこ馬場となってしまった。

 

ラニにとって、ケンタッキーダービーの20頭から出走頭数が約半分の11頭になったことはよかったが、前走以上にタイムの速くなる足抜きのいい馬場状態、戦前から覚悟していた適性の問題も含め、またも厳しい条件の中での戦いとなった。

 

しかしラニは、そんなモヤモヤを吹き飛ばすレースを披露する。

 

スタートはなかなかだったものの、隣の馬に寄られてしまい、結局いつものように後方に下がる。そして、私を含める、日本で声援を送っていたファンが驚愕したのがこのあとだ。ぬかるんだ馬場を考慮してなのか、またはダービー馬ナイキストをマークしたいジョッキーも多くいただろう。先頭集団に多くの馬が殺到し、ごったがえす展開となる。これはレースの通過タイムにも如実に表れ、なんと入りの2ハロン(400m)が22秒台という芝の短距離レースかと思うほどの超速タイム。ナイキストは、その流れで押し出される形になりハナを切ることになった。

 

ラニは「だろうな」という感じでまったくレースについていけず、道中でやっとカメラに映ったのが4コーナーから。それまではずっとフレームアウトしていた。

 

半マイルのタイムは、テンのタイムに比べると46秒台と落ち着いたが、それでも逃げるナイキストには辛い展開。さすがに4コーナーで手ごたえが怪しくなった。その直後に迫っていたのがケンタッキーダービー2着のエグザジェレイター。道中は早い流れの中、先団の後ろで足を溜めると、直線では内埒沿いから一気に抜け出し2冠目を制した。

 

ラニは、置かれた最後方から4コーナーでやっと前に追いつくと、直線では馬群に突っ込んだ。そこで前が塞がる不利があったものの、外に持ち出されると、残りの100mくらいを目の覚めるような剛脚で追込み2,3,4着とは差のない5着に入り、日本競馬史上初、米クラシックで掲示板に載るという快挙を成し遂げた。

 

勝ったエグザジェレイターは、ケンタッキーダービーの前哨戦として勝利したサンタアニタダービーも今回と同じような不良馬場だったことから、道悪巧者であると思われる。展開も含めて、全てがばっちりハマったという印象があった。

 

ラニも、レースの流れやペースなど、展開が向いたところもあったが、不向きと思われていた条件で上位入線を果たしたのは見事としか言いようがない。

 

最大の目標である、米三冠最終戦・ベルモントステークスに向けて、弾みになった2戦目。

 

 

遠征前には手が届くなんて考えもしなかった、重い扉に手をかけた瞬間だった。

文・ゆーた

写真・ウマフリ写真班