都に舞う華~ルールプロスパー~

年齢による限界など、いったい誰が決めるのだろう。

競走馬である彼の11歳はという年齢は「もう11歳」ではなく「まだ11歳」であった。

 

万能、多才……そのようなタイプがもてはやされる中で、自らの才を存分に活かせる舞台を見つけ、活躍するスペシャリスト。

京都の障害コースにおいて、彼に適う者はいるだろうか。

2016年5月28日。

 

11歳の障害馬の、京都ハイジャンプ三連覇を賭けた戦いが始まろうとしていた。

パドックには「三連覇」の文字と共に、彼の名が書かれた沢山の横断幕。

やがて登場したのは、年齢を感じさせない青鹿毛の美しい馬体だった。

「京都のスペシャリスト」ルールプロスパーである。

 

彼の競走馬生活は、多くの「祈り」に支えられていた。

馬房に飾られた、2つの千羽鶴。

 

1つはプロスパーの障害転向が決まった時に、90歳となるオーナーが、無事完走の祈りを込めて競馬専門紙で作ったもの。

専門紙を切り、一枚一枚、鶴を折る……全ては彼の「無事完走」のために。

 

そしてもう1つは、ファンの方が作られた勝負服カラーの千羽鶴である。

プロスパーの飛越を全て撮影し、それを収めたアルバムなども作成された、熱心なファンだという。

「無事完走」

 

その想いに応えるかのように、ルールプロスパーは誇るべき記録を打ち立てた。

2~10歳と、9年連続でのJRA競走における勝利。これは史上最長記録である。

 

また、彼の障害レースにおける戦績は15戦6勝。

その6勝のうちの5勝は、実に京都でのもの。

更にそのうちの2勝は、J-G2京都ハイジャンプ連覇という、まさに「京都のプロフェッショナル」なのだ。

 

その京都ハイジャンプ連覇も、9歳時と10歳時であるというから頭が上がらない。

年齢による限界を決めてしまっている現代社会、またそこに生きる人間の価値観に一石を投じているようにすら感じられる。

 

「自ら限界を決めて、どうするのだ」

 

と。私達も、ルールプロスパーに学ぶ所は大きいのではないだろうか。

2016年京都ハイジャンプ。

 

ルールプロスパーは果敢に先行したものの、レース結果は新星・ニホンピロバロンの完勝。プロスパーは5着に終わった。

 

この京都HJが、彼の引退レースとなった。何とも「らしい」引き際である。

 

 

そして程なく、京都を愛した彼の第2の馬生が発表された。

 

「京都の大学馬術部にて、乗馬」

 

「ルールプロスパーが、愛する地で第2の馬生を過ごせますように」

……私がそう願わずとも、彼はその運命を背負っていたのだった。思わず目頭が熱くなったのは言うまでもない。

 

 

彼が「入学」した大学ではないが、私も大学時代を京都で過ごし、乗馬クラブと京都競馬場へ通い詰めていた。

それゆえプロスパーには、こと思い入れが強いのかもしれない。

彼が京都の大学へ旅立つ際、障害転向時から彼を見守っていた2つの千羽鶴が馬運車に乗せられた。

愛情、感謝、そして期待……様々な想いが込められた2つの千羽鶴と共に、彼は新天地へ向かった。

 

 

今はインターネットで、様々な情報が手に入る時代である。

馬術部での様子を調べると、ルールプロスパーが学生さん達に愛されている事が伺える。

 

また、嬉しいサプライズも目にした。

主戦であった白浜騎手と、彼を初めに担当した林調教助手のお二人が、馬術部へ訪れたという。

 

白浜騎手のお言葉も

「馬術と競馬では違うが 、飛越センスのある馬」

と頼もしいものだった。

 

そして、自身が騎乗された時の事も学生さんにお話したいとも仰っている。何と寛大な障害の名手であろうか。

 

苦楽を共にしたホースマンに愛され、学生さんに愛され、彼はきっと、立派な馬術競技馬となる事だろう。

 

 

競走馬上がりの馬が競技会デビューを果たすためにかかる期間は年単位。そこは馬術のプロ達に任せよう。

はやる気持ちを抑えたいものの、ルールプロスパーが馬術の舞台で華麗に舞う日が待ち遠しい。

都の華よ、再び咲き誇れ。

彼を愛する人々の想いと共に。

文・川井旭

写真・kuroumachan