日本馬2着!その時、前を走っていたのは?〜日本馬の凱旋門賞勝利を阻んだ名馬たち〜

世界最高峰のレースである凱旋門賞。

日本馬の悲願でもある勝利の瞬間は、すぐ目の前までやって来ている。

過去17頭(のべ19頭)いる日本からの凱旋門賞挑戦馬のうち、2着は4回。

今回は、日本馬が2着となったその時、前を走っていた名馬たちを振り返ってみたいと思う。


2013年 優勝馬 トレヴ  2着 オルフェーヴル

日本からの挑戦は、2着オルフェーヴル、4着キズナという結果に終わった2013年凱旋門賞。

そんな日本のダービー馬2頭に圧勝したのが、フランスの3歳牝馬トレヴだった。

 

Treve にはフランス語で「休戦、停戦」といった意味がある。

しかし同馬は牝馬ということもあり、母系の Trevilla-Trevillari-Trevise から頭の Trev を受け継いだ名前という意味が大きい。

祖父はフランスの名種牡馬モンジュー。

モンジューが1999年にエルコンドルパサーとの熱戦の末、凱旋門賞を勝利していることを考えると、日本馬の勝利を阻んだ因縁の血筋とも言えるだろう。

トレヴからしてみれば、祖父に続いての凱旋門賞制覇という、素晴らしい成績を残したことになる。

 

そんな輝かしい経歴のトレヴだが、2万2000ユーロで主取りになった過去を持つ。

フランスの名門牧場出身である天才少女トレヴの当時の評価は低かった。

買い戻した牧場主であり元調教師のアレック・ヘッド氏は、自身の娘であり名調教師クリスティーヌ・ヘッドにトレヴを預ける。

 

そして時は過ぎ、2012年9月、T.ジャルネ騎手を鞍上にデビュー戦を快勝。

脚部不安のため約8ヶ月の休養を経て、翌年5月に条件戦を勝利すると、6月にはディアヌ賞(仏オークス)をレコードタイムで圧勝する。

その後所属厩舎はそのままで、カタールのシェイク・ジョアン殿下に800万ユーロ(約10億円)でトレードされ、10万ユーロの追加登録料を支払い、凱旋門賞に出走することとなった。

馬主が変わったことで鞍上がランフランコ・デットーリ騎手に変わり、9月には3歳以上牝馬の凱旋門賞前哨戦であるヴェルメイユ賞を13/4馬身で勝利。

本番ではデットーリ騎手が骨折中だったためT.ジャルネ騎手と再コンビを組み、オルフェーヴルに5馬身差をつけ、凱旋門賞、その壁の高さを我々に思い知らせた。

 

翌年、1勝もしないままにトレヴは再び凱旋門賞の舞台に立った。

そして日本からの精鋭部隊であるゴールドシップ、ハープスター、ジャスタウェイをはじめ、世界の強豪たちを蹴散らし、無事、凱旋門賞連覇を果たす。

これは1977・78年アレッジド以来36年ぶりの快挙で、牝馬では1936・37年コリーダ以来77年ぶりの大偉業となった。

フランス競馬の歴史に名を残す、まさに名牝となったのだ。

2015年にも凱旋門賞に挑戦し史上初の3連覇を目指したが、結果は4着。

そのまま繁殖入りとなった。

 

現在はドバウィの子を受胎中で2017年初頭に出産予定とのこと。

ドバウィといえば今年の凱旋門賞に出走予定のポストポンド、ニューベイ、レフトハンドもその産駒だ。

世界最高額22万5000ポンド(約3400万円)の種付料を誇る種牡馬との産駒、期待せずにはいられない。

2012年 優勝馬 ソレミア  2着 オルフェーヴル

2012年の凱旋門賞はデインドリーム、ナサニエル、スノーフェアリーなど有力馬が不運により次々と回避。

オルフェーヴルは前哨戦であるフォワ賞を勝利したことにより、フランスでは1番人気となった。

そんな中、地元にも関わらず18頭中12番人気と低評価だったソレミアが大仕事をやってのける。

大本命のオルフェーヴルをゴール前、クビ差交わして勝利したのだ。

軽視されていた牝馬が掴んだ栄光。

これには正直驚いた。

では、日本中の競馬ファンに悲鳴を上げさせたソレミアとは、一体どんな馬だったのか。

 

Solemia は2008年生まれでアイルランド産の牝馬。

2012年凱旋門賞出走当時は4歳だった。

調教師はスペイン出身のカルロス・ラフォン=パリアス氏。

氏は先程述べた2013年凱旋門賞優勝馬トレヴを管理しているクリスティーヌ・ヘッド調教師の夫である。

馬主はあの有名なフランスのファッションブランド・シャネルのオーナー、ヴェルテメール兄弟。

ソレミアは兄弟が大切に繋いできた牝系ファミリーのうちの1頭で、ステークス競走勝馬を6頭生んだ並外れた繁殖牝馬ブルックリンズダンス最後の産駒だった。

 

2歳6月のデビュー戦は負けたものの、次走は湿った馬場も味方し6馬身差での圧勝劇を見せる。

3歳になった年の着順はそれぞれ、5・3・2・1・2と5戦1勝。

そして明け4歳、始動戦を勝つとフランスのG3、G2、G2と勝ちこそしないものの好走。

はじめて挑戦したG1競走である凱旋門賞前哨戦のヴェルメイユ賞で、3着という結果を残す。

その後、同厩舎馬との兼ね合いもあり、次走を凱旋門賞に設定した。

そして凱旋門賞は前述のとおり、日本馬のオルフェーヴルを下し勝利を収めている。

 

凱旋門賞勝利後、ソレミア陣営はジャパンカップ参戦を選択する。

オルフェーヴルとの再戦はすぐにやってきた。

しかし不良馬場のロンシャンを勝ったような馬に日本の良馬場は厳しかったのか、レースはジェンティルドンナが優勝。

2着オルフェーヴル、13着ソレミアという明暗を分ける結果となった。

結局このジャパンカップがソレミアの引退レースとなり、そのまま繁殖入り。

初年度産駒はトレヴ同様にドバウィが相手とのことで、こちらも楽しみである。

2010年 優勝馬 ワークフォース  2着 ナカヤマフェスタ

日本を拠点に活躍する種牡馬にも、凱旋門賞を勝った馬がいる。

それが2010年凱旋門賞勝ち馬であるワークフォースだ。

 

Workforce は父キングズベスト、母父サドラーズウェルズという血統。

イギリス生産馬で、同じくイギリスのサー・マイケル・スタウト調教師が管理していた。

主戦騎手は世界の名手ライアン・ムーア騎手で、すべてのレースに騎乗した。

 

2歳時は1戦1勝。

その内容は6馬身差で圧勝と高く評価され、翌年のクラシック戦線での有力候補として注目される。

そして明け3歳5月。

デビュー2戦目では幼さも出たのか、2着という結果に。

この結果を受け英ダービー挑戦を一旦は保留した陣営だったが、一週間前追い切りの出来が良かったため出走の運びとなった。

そして迎えた英ダービー本番は、7馬身差で圧勝する。

2分31秒33はラムタラの記録を15年ぶりに更新したコースレコードだった。

続いて出走した古馬との初対戦であるキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでは、勝ち馬であるハービンジャーに17馬身差をつけられての5着だった。

そして前哨戦を使うことなく、ぶっつけ本番挑戦となった凱旋門賞。

日本からはナカヤマフェスタ、ヴィクトワールピサが頂点を狙っていたが、ワークフォースは最後の直線で内から馬群を抜け出すと、ナカヤマフェスタとの叩き合いを制し、アタマ差で勝利した。

ちなみに、日本馬の凱旋門賞最高着順はこのナカヤマフェスタのアタマ差である。

 

その後、英ダービーと凱旋門賞の両方を勝った馬にしては珍しく、古馬になっても現役続行となった。

2011年の凱旋門賞にも挑戦したが、見せ場なく12着に終わり、それを最後に引退、種牡馬入り。

社台グループが購入し、社台スタリオンステーションで種牡馬として第二の馬生を過ごしている。

1999年 優勝馬 モンジュー 2着 エルコンドルパサー

「この年の凱旋門賞にはチャンピオンが2頭いた」と言われる1999年の凱旋門賞。

スタート直後から逃げた日本馬・エルコンドルパサーを直線で交わし優勝したのがモンジューだ。

 

Montjeu の父はサドラーズウェルズ。

ワークフォースの母父でも出てきた名前だ。

サドラーズウェルズは、欧州で現役時代も種牡馬としても大活躍した超一流馬。

そんな優秀な父を持つモンジューもまた、輝かしい成績を残している。

 

2歳時には2戦2勝。

3歳になってもその勢いは止まらず、前哨戦こそ敗れたものの、仏ダービー、愛ダービーを圧勝。

休養を経て、凱旋門賞前哨戦であるニエル賞も勝利する。

そして迎えた本番。

世界中の強豪が揃った凱旋門賞だ。

デイラミ、ファンタスティックライト、そしてエルコンドルパサー。

不良馬場となったロンシャンで逃げるエルコンドルパサーを直線捉え、1/2馬身差で勝利した。

次走にはジャパンカップ参戦を選び、来日する。

しかしスペシャルウィークの4着に破れ、この時はじめて連対を外した。

翌年、古馬になり順調に勝利を重ね、連覇を目指し凱旋門賞に挑んだがこちらも4着に終わる。

その後はチャンピオンS、BCターフと負けが続き、そのまま引退となった。

 

モンジューは、種牡馬としての活躍も目覚ましいものだった。

トレヴの父であるモティヴェイター。

カルティエ賞年度代表馬ハリケーンラン。

他、セントニコラスアビー、ジョシュアツリー、キャメロットなど多くの活躍馬を輩出した。

初年度産駒デビュー2年目の2005年には仏首位種牡馬へと躍進。

英ダービー馬を4頭輩出するなど素晴らしい種牡馬成績を残したが、2012年3月29日朝、敗血症による合併症で16歳という若さでこの世を去った。


以上、日本馬が2着になった時の優勝馬を振り返ってみたが、いかがだっただろうか?

 

今まで積み重ねてきた凱旋門賞への日本馬の挑戦は、未だ見ぬ勝利の瞬間に繋がっている。

ただ、惜しい2着も、完敗した2着も、負けは負けだ。

そこから何を学び、次に繋げていくのか。

大切なのはそこだと、わたしは思う。

 

世界にはまだまだ強い馬がいる。

そのことが、日本の競馬を強くするのだ。

 

凱旋門賞を勝つことはただの夢物語ではなく、確かな目標であり、通過点にすぎない。

日本競馬の繁栄を願い、凱旋門賞スタートの瞬間を待ちたい。

文・笠原小百合

写真・がんぐろちゃん