ダービー「最下位馬」たちのその後を追え!【前編】

ホースマンたちにとって最大の栄誉である「ダービー」。

その舞台を制した馬がいる一方、最も遅く走ってしまった馬たちもいる。彼らはレース後、どのような歩みを進めているのだろうか。

そして、その歩みから見えてきた、ダービーのもう一つの側面とは?

日本ダービー「最下位馬」たちのその後を追え!


2016年の日本ダービーを制した馬は?

……なんていう問題を競馬ファンに出したら、きっと簡単すぎて笑われてしまうことだろう。

では、2016年の日本ダービーで最下位だった馬は?

という問いならば、果たして答えられる人はどれくらいいるだろうか。

正解はブレイブスマッシュ。

サウジアラビアロイヤルカップ優勝やファルコンステークス2着といった実績はあったものの、距離への対応力に疑問がありダービーは17番人気。さらに、返し馬の段階では挙動不審な素振りをみせており、コンディションの面も万全ではないように見受けられた。

その悪い予感はレースで現実となる。

最初の直線で大きく膨れると、その後は鞍上のお家芸(!?)でもある後方待機を選択。レースが進む中、なかなか前との差を縮められない。最後の直線では体力も気力も残っていなかった。

マカヒキとは11秒差、17位のプロフェットとも9秒の差が開いていた。

大敗だった。

そんなブレイブスマッシュは昨年11月に復帰。短距離からマイルのレースで堅実な走りをみせていた。

そして、オーストラリアへの移籍という道を選択する。

日本馬の評価も高い遠い地で、密かにあの日のリベンジを目指しているのかもしれない。

去年のダービーでブレイブスマッシュを発見し、気になって彼の今を追い続けているうちに、ふと思った。

ダービーをトップで走った馬たちが語り継がれる一方、ダービーをビリで走った馬たちはさっぱり語り継がれていないじゃないか!

レースのビリが忘れ去られることは何ら不思議なことではないのだが、でも、そんな忘れ去られそうな馬たちにスポットを当てたい。彼らの歴史を追い続けることで、日本ダービーが持つ別の側面も見えてくるはずだから。

※なお、本稿においては「ダービー最下位馬」をは「レースで最後に入線した馬」ないしは「レース中に怪我ら落馬などで競争を中止した馬」の2通りで定義する。一方「枠番発表後に出走取り消しとなった馬」はレースに参加していないので、最下位馬としては定義しない。この点はあらかじめご了承願いたい。

2013年の日本ダービーの際、配布されれていた「第80回日本ダービー Anniversary Book」という冊子を読み返す。

その中に「日本ダービー史」という企画がある。その名の通り、レース79回分の順位と払戻金が記されている。ペラペラとページをめくるだけで勉強になる記録集だ。そこにまとめられている事実を、端的にここに記す。(人名は敬称略)

・記念すべき第1回日本ダービー最下位馬は……なんと「不明」。1~3着以外の順位は残っていないのだ。全着順が記録として残るのは1938年の第7回大会まで待たなければならない。最下位馬は「レイライ」という。10番人気で、鞍上は木村茂。

・ダービーで最も出走頭数が多かったのは1953年の第20回大会で、33頭である。ただし、枠順発表後に2頭取り消されているので、本来であれば35頭出走しているはずだった。さらに、4番人気カネエイカンを筆頭に3頭の落馬も発生。荒れに荒れた厳しいレースで最後に完走したのは、24番人気のアサクニ(騎手:伊藤英治)だった。ちなみに、馬番は⑦。意外と内枠。

・1969年の第36回大会。嶋田功鞍上のタカツバキは第1コーナーで悲劇に見舞われた。これが現在に至るまで唯一の「1番人気が競争中止により最下位」というケースである。なお「1番人気が最下位入線」というのは、現在に至るまで発生していない。

・安藤勝巳、横山典弘、四位洋文、中野栄治、増沢末夫、小島太、加賀武見……ダービージョッキーである一方、ダービー最下位ジョッキーでもある。最多最下位ジョッキーは菅原泰夫の3回(50回、55回、57回)。カブラヤオーやテスコガビーでクラシックを制覇した一方で、こういう顔もあったのだ。また、外国人ジョッキーで唯一ダービー最下位の経験があるのがニコラ・ピンナ騎手である。(2017年現在)

・ちなみに、これまでダービー5勝を挙げている武豊はどうかというと、第81回のトーセンスターダムで最下位入線があるのみ。ラチに接触というアクシデントが影響しているだけに、普通に走れていればどうだったのだろうか?と想像したくなる。

いかがだろうか? このようにダービーの最下位を追うだけでも様々な歴史とドラマがあるのだ。

そんな歴史を振り返っているうちに、ダービーで最下位になる理由が見えてきた。近年の場合だとこの2つに集約される。

1つ目は「ダービーは適性外のレースだった」というものである。先に挙げたブレイブスマッシュはもちろん、さきたま杯や東京スプリントといった地方交流重賞で活躍したノーザンリバーは、第78回大会の最下位馬だった。

もう1つは「単純にまわりの方が強かった」という側面。あまりにも当たり前すぎる話だが……。ただ、早熟だった馬は意外と少ない。先の天皇賞(春)にも出走したスピリッツミノル(82回)や障害に矛先を変えて中山グランドジャンプまで辿り着いたプラテアード(74回)など、最下位になった後も試行錯誤を重ね、コツコツと自己条件を勝ち上がり、G1の舞台に舞い戻った馬たちもいるのだ。

さて、次回もそんな最下位馬たちがダービーのあと、どのような生き様を送っているのかを探っていきたい。取り上げるのは第75回及び第79回大会の最下位馬だ。

文・和良拓馬
写真・ウマフリ写真班