光の道標~マジェスティバイオ~

その蹄跡をもって、ホースマンたちの道標となった名ジャンパーがいた。

平地・障害の垣根を越え、今もなお、未だ見ぬ景色へ人々を導く名ジャンパーがいた。

 

2013年11月30日、名馬は空へと旅立った。

 

しかし、彼の輝きが色褪せる事は決してない。

 

その名馬は、名をマジェスティバイオといった。

 

2011年4月2日。

マジェスティバイオは阪神競馬場で障害初戦を迎えた。障害騎手としてその名を轟かせ、厩舎を開業したばかりの田中剛調教師の管理馬として。

 

そして障害3戦目で勝ち上がりを見せた彼は、何と4戦目で重賞に挑戦した。2011年の東京ジャンプSである。

未勝利戦を勝ち上がったばかりという不安要素のためか、ファンからの評価は8番人気であった。

 

常識破りの挑戦……その結果は、マジェスティバイオの圧勝劇に終わった。ポジションは中団から。そして彼の武器である末脚で、直線で2着馬を4馬身突き放す圧勝劇。

 

この時既に、彼が障害馬として大成する予感は言わずもがな、開拓者・道標としての片鱗をも見せていたと、私は感じている。

 

そしてこの東京ジャンプSが、田中剛厩舎にとっての重賞初勝利となった。鞍上の柴田大知騎手にとっても、実に14年ぶりの重賞制覇である。

両者にとって、この勝利が如何ほど大きな意味を持った事であろうか、想像に難くない。

 

東京ジャンプS以前、柴田大知騎手は騎乗馬が集まらず、勝つ事ができない……計り知れない苦悩に立たされていた。

それでも諦めず障害に活路を求めた柴田騎手が、田中剛調教師のアドバイスを元に「作った」障害馬。それがマジェスティバイオであった。

マジェスティバイオは陣営を導く道標であった。そしてその先には、かつて見た事のない希望が広がっていた。

 

その秋、彼は巧みな飛越と持ち前のスピードを発揮し、東京ハイジャンプで重賞2勝目を飾った。

そんな彼と陣営の次なる目標は、障害馬として生きるからには立ちたい華舞台だった。

 

2011年12月24日、暮れの大一番・中山大障害。

マジェスティバイオは、障害の王者候補として、堂々たる一番人気でその華舞台を迎えた。

 

ゲートが開き、ポジションはいつもの中団から。最後の直線、持ち前の末脚でディアマジェスティを差し切るという「彼らしい」競馬であった。

また、イルミネーションジャンプSの雪辱を果たした事にもなる。

 

マジェスティバイオがJ-G1馬になった。

 

鞍上の山本康志騎手にとっても、これがJ-G1初制覇である。騎手時代に何度もこの大舞台を制した田中剛調教師にとっても、調教師として初のJ-G1であった。

 

自らを愛するホースマンを導き、道標となる障害馬。それが、マジェスティバイオだった。

彼の示す先にはいつも、未だ見ぬ希望があった。

 

J-G1馬となった彼の勢いは止まらない。

年明け初戦のペガサスジャンプSを5馬身差の圧勝で飾った彼に、中山グランドジャンプに向けての期待が高まる。

天才ジャンパーは春の大一番で、どのようなレースを見せてくれるのだろうか。

 

2012年4月14日、中山グランドジャンプ。

ファンの期待に応える……いや、超えるかのような走りであった。8馬身差という異次元の勝負根性と末脚、スタミナを見せ、J-G1・2連勝を成し遂げた。

 

この時の鞍上は、前年のマイネルネオスでの勝利に続き同レースを連覇した柴田大知騎手であった。

マジェスティバイオの存在は、やはり柴田騎手にとってのターニングポイントとなったのではないだろうか。

 

同年5月5日、柴田騎手は平地G1・NHKマイルCをマイネルホウオウで勝利した。自身の200勝という大きな節目と共に。

一時、騎手として大変な苦労があった柴田騎手。

しかしその騎乗技術、関係者を大切にする人柄が認められ、今や頼れる騎手の一人となっている。

 

こうしてマジェスティバイオは、自らを愛したホースマンの道標となり、明るい未来を残していった。

半年の休み明けで出走した東京ハイジャンプは、見せ場なく9着に敗れた。

その結果に一部からは衰えの噂も囁かれた。

 

しかし噂は噂であり、彼はそこで終わる馬ではない。

結果をもってその説を一蹴する。

2012年イルミネーションジャンプSは、63kgの斤量を背負いながらの貫禄勝ち。

障害界を背負う王者・マジェスティバイオに、復活の兆しが見られた。

 

連覇を狙った中山大障害馬は3着。

これが彼の、2012年最後のレースとなった。

2011年・2012年と2年連続で最優秀障害馬を受賞した名馬に、来年こそはと期待がかけられる。

 

そして迎えた2013年11月30日、イルミネーションジャンプS。

63kgの斤量、そして11ヶ月の休み明けにも関わらず一番人気に推されたこのレースが、彼の復帰戦であった。

ゴールまで残す障害はあと1つ。この先に待っていたものは……

 

その答えは、永遠の謎となった。

 

最終障害で転倒した彼に下された診断は、右前浅屈腱の断裂。

自ら道標となり、人々に希望を与え続けた名障害馬を待っていた運命は「かつて自らが輝いた中山の障害コースに散る」というあまりにも酷なものであった。

 

しかし、マジェスティバイオの残した道標の輝きが失われる事はない。

G2馬となった中山のスペシャリスト・フェデラリスト。G1を3勝も手にした快速馬・ロゴタイプ。

 

田中剛厩舎に、次々と重賞やG1の朗報が入ってきた。

初めての重賞、初めてのJ-G1をプレゼントしたマジェスティバイオの置き土産であるかのように。

 

彼に携わったホースマンがマジェスティバイオに学んだ事は、後輩たちの道標となっているのではないだろうか。

 

こうして彼は、人々の中で、様々な形で生き続ける。

その名前、輝いていた姿、そして「大ファンだった」という声がいまだに絶えない人気を誇っている。

 

名ジャンパー・マジェスティバイオ。

彼は記録に留まらぬ、あまりに偉大な功績を成し遂げた名馬であった。

 

そして彼はこれからも、まだ見ぬ世界へとホースマンを、ファンを誘ってくれるであろう。

「光の道標」マジェスティバイオとして。

関連ページ

川井旭の記事一覧

文・川井旭

写真・ミッド、オガタKSN