意外と多い!「サッカー」×「競馬」をご紹介!

皆さまはサッカーと競馬の繋がりをご存知でしょうか?

サッカーにちなんだ馬名や、サッカー関係者による競馬ドラマ……。

どちらも歴史の長い人気スポーツです。繋がりは欠かせません。

今回はサッカー×競馬に関する話題を集めてみました!

競馬ファンの皆さまにもサッカーファンの皆さまにもお楽しみいただけたらと思います!

■競走馬としても父としても!「サッカー馬名」の名馬たち

まずはサッカーにちなんだ馬名をつけられた名馬たち。

今回ご紹介する3頭はどの馬も、種牡馬となるほどの活躍をした活躍馬です!

○サッカーボーイ

 

競馬界の「蹴球王」と言っても過言ではないのが、このサッカーボーイ。

まだサッカーのプロリーグがなかった昭和の日本ですが、いよいよプロリーグ発足へと動き出したのがサッカーボーイの活躍した1988年ごろでした。

関西所属の2歳チャンプを決める「阪神3歳ステークス」や「マイルCS」といったG1競走を制覇している名馬です。同期のオグリキャップやひとつ上のタマモクロスと火花を散らした有馬記念の3着で引退し、その後は種牡馬としても活躍を収めました。

そして、父親にちなんだ名前がつけられることも多い競馬界。

もちろんサッカーボーイの子供たちにもサッカーを意識した名前が付けられた馬が多くいました。

日韓共催ワールドカップで盛り上がった2002年にデビューしたブルーイレヴンもその1頭。日本代表のイメージカラーの「ブルー」にサッカーの「11」人という、ワールドカップ開催年デビューに相応しい名前がつけられた彼は、制御不能な気性の荒さと鋭い末脚をもち、重賞で2勝をあげています。他にも愛知杯で4着のハットトリッカーや、未出走で引退したゲットアゴールなどが「サッカー馬名」と言えるのではないでしょうか。

○オフサイドトラップ

通称「沈黙の日曜日」と表現される天皇賞・秋の勝者であるオフサイドトラップ。サイレンススズカの悲劇に注目が集まりがちですが、その年はそれまで6戦して全てが馬券に絡んでいることや、重賞初勝利から3連勝でのG1制覇であること、出走馬で最年長の7歳(現在表記)だったことなどを考えると、非常に尊敬されるべき勝利であったと思います。

ナリタブライアンと戦い、グラスワンダーとも戦ったという、世代を跨いだ活躍をした馬です。

引退後には種牡馬として、こちらもキックオフパスアンドゴーカウンターアタックといった「サッカー馬名」の馬を輩出しています。

さらに、オーナーがサッカー好きであった事でも有名。同オーナー所有馬には他にもワールドカップダイレクトパスヘディングマキキャノンシュートハンソデバンドなどがいます。

ハンソデバンドが「サッカー馬名」にあたる理由は、その由来が元日本代表・播戸竜二選手にあるからです。常に半袖でプレーしていた播戸選手を表現した名前というわけですね。しかし名前のインパクトだけでない実力馬でもあり、共同通信杯ではダノンシャンティやアリゼオを相手に勝利しています。

○ハットトリック

ハットトリックもサッカーボーイ同様にマイルCSを制覇したG1馬です。

国内外であげた重賞4勝は全て芝1600mという典型的なマイラーでした。

もちろんそれまでも名馬ではありました、ハットトリックの運命が劇的にかわったのは、海外で種牡馬入りしてからです。欧州最優秀2歳馬に輝き、2歳馬ながらフランスの年度代表馬に選出されたダビルシムを輩出、一気に世界で注目の血統馬となりました。

産駒のZapataはアルゼンチンのG1・2000ギニー大賞で2着の活躍馬。関連性は不明ですが、同盟のアルゼンチン代表のサッカー選手であるグスタボ・サパタ選手が90年代半ばに横浜マリノスでプレーしていましたので「サッカー馬名」にカウントしていいのではないでしょうか。

また、アルゼンチンのG1馬であるGiant Killingも、サッカーを連想させる名前と言えるはず。

日本にも産駒が輸入され、デビュー直前に不慮の事故で亡くなってしまったトリプレッタもその1頭。馬名はイタリア語で『ハットトリック』を意味していました。

■こんなにも深い関係が!サッカー関係者たちと競馬界

つづいては、サッカー関係者たちと競馬にスポットを当てていきます。

特に「貴族のスポーツ」として競馬をとらえている海外では、多くの著名人が競馬に対するアクションをおこしています。

○マイケル・オーウェン選手

元イングランド代表としてワールドカップ等で大活躍を収めていたオーウェン選手。

実は地元では競馬好きとして有名らしいです。

オーナーだけでなく、生産者としてManor House Stablesという牧場を経営しています。

「ハンパない」熱の入れようです。

愛セントレジャーやドバイゴールドカップを勝利した実績馬・ブラウンパンサーもオーウェン選手の生産(かつ共同馬主)でした。しかもそのブラウンパンサーの母であるトレブルハイツはオーウェン選手が馬主資格を取得した2000年ごろに所有した初めてのサラブレッドで、大変な思い入れがあったそうです。「彼なしの人生は耐えられません。それほど彼を失うことは怖いことです」というインタビュー中のコメントからもそれは十分に伝わってきます。しかし残念ながらブラウンパンッサーは連覇を目指して出走した2015年の愛セントレジャーで予後不良となってしまいます。彼はその日SNSで「人生において最も悲しい日です。これまで出逢った中で、最も強く素直で優れた競走馬が、本日レース中にこの世を去りました」と投稿しています。

オーウェン選手の競馬界での活躍は生産にとどまりません。アマチュアジョッキーによるチャリティーレースにジョッキーとして参戦して2着と、さすがの成績を残しています。なんとこのレースにむけて、21日間で9キロの減量をしているとか。オーウェン選手の所有馬の多くは、元障害騎手のトム・ダスコム調教師に預けているのですが、このレースに向けても同氏に指導を受けたそうです。ちなみに同レースはカタールのファハド殿下も出走し、3着に食い込んでいます。なんという豪華メンバーでしょうか。

○ミック・シャノン調教師

イングランド1部リーグの得点王でありイングランド代表であったミック・シャノン選手。

こちらはオーナーではなく、なんと引退後に調教師となり数々のG1馬を制覇しています。

バロンドールを二度受賞しているケビン・キーガン選手らから競走馬を預かるなど、サッカー界との繋がりはまだあるようです。

サンチャリオットステークスやセントジェームズパレスステークスといったイギリスの大レースを勝利する一方で、サンクルー大賞やローマ賞といった海外のG1も制覇しています。なんと、これまでにフランス・イタリア・ドイツ・カナダ・アイルランドでG1を勝利しています。

馬術馬としてブラジル代表のパロ選手とコンビを組みリオオリンピックに出場し、個人戦で18位となったサモンアップザブラッドも、現役時代には同調教師の管理馬でした。

○グリーズマン選手

イギリスのサッカー選手だけではありません。

フランス代表で若者を中心に絶大な支持を集めるグリーズマン選手も馬主となっています。

既に所有馬からは白星をあげる馬も出てきて、今後も目が離せない注目オーナーになりそうです。

○トニービン

さて、続いては名種牡馬トニービンとサッカーの繋がりをご紹介。

先述したオフサイドトラップの父であり、名牝・エアグルーヴやジャングルポケットの父であるトニービン。

生産されたばかりのころは期待の低い馬でした。その若駒を約70万で購入したオーナー(ルチアーノ・ガウチ氏)が最終的に手にした額は、なんと10億。

多くは日本生産界への売却額でしたが、これは日本にとってもお買い得な取引だったと言えるでしょう。トニービンの存在は日本競馬界のレベルアップに貢献しています。

そしてルチアーノ・ガウチ氏はその資産をもとにサッカークラブ・ペルージャのオーナーとなり、中田英選手を獲得。

さらに中田選手がローマへ移籍する際には多額の移籍金を得ています。

トニービンと中田選手……サッカーと競馬の繋がりはここにも。

夢がありますね。

○ロックオブジブラルタル

うってかわってこちらは、ちょっとシビアな話題に。

当時世界最強馬の1頭として数えられていたロックオブジブラルタル。

マンチェスターユナイテッドの監督であったファーガソン氏が権利の半分を保有していました。

これはオーナーであるジョン・マグナー氏(クールモア総帥)の心意気によるものだったのですが、引退後の権利を巡って争いが勃発。

ファーガソン氏は引退後の種牡馬としての利益も半分受ける権利があると主張し、最終的には訴訟へと発展しました。

結果ファーガソン氏は毎年4株の種付け権を獲得しましたが、同馬は種牡馬として大きな成功は得られず、さらにはオーナーと不仲になってしまいます。

その後、大富豪であるジョン・マグナー氏は不仲を理由に、それまで保有していたマンチェスターユナイテッドの株を売却してしまっています。

お金は大切ですが、ちょっと切ない話ですね。

余談ですが、ファーガソンという馬も日本にいました。G1馬・ヒルノダムールの全弟で、引退後は種牡馬になっています。

■懐かしのレジェンドたちの名前を持つ競走馬たち

競馬界にはサッカー界のレジェンドたちの名前をそのままに名付けられた馬も多くいます。

締めくくりは彼らの紹介としましょう!

○ペルーサ

ペルーサといえばアルゼンチンの英雄的サッカー選手であるディエゴ・マラドーナ氏の愛称です。

このペルーサの母の名前はアルゼンチンスターですから、相応しい名前だったと言えるでしょう。

本家のマラドーナ選手に負けず劣らず(!?)、ペルーサ自身もスター性のある馬でした。

デビューから4連勝でダービーに挑戦するも出遅れにより6着。

そこから何度も出遅れをしては惜しい負けを経験し続けます。

3歳の春、ダービー前にあげた青葉賞での白星の次に獲得した勝利は、なんと8歳の夏!

紆余曲折がありながらも長い間活躍を続けたペルーサ。

1982年~1994年と長年アルゼンチン代表で活躍を続けた本家マラドーナ選手に重なる部分もある気がします。

○フェノーメノ

天皇賞・春を連覇した名ステイヤー・フェノーメノ。

彼もまた「サッカー馬名」と言えます。

「イル・フェノーメノ」は怪物/超常現象を意味する言葉で、歴史的名FWであるロナウド選手の愛称でした。

フェノーメノはダービーで惜しくも2着など悔しいレースも多い馬でしたが、ステイヤーとしての資質は抜群でした。

長距離レースでの決定力はまさに「怪物」と呼ぶに相応しいのではないでしょうか。

○コディーノ

コディーノはイタリア語で「馬の尻尾」「辮髪」を意味します。

しかしそれだけではありません。偉大なポニーテールのサッカー選手ロベルト・バッジョ氏の愛称でもあります。

その髪型からコディーノと呼ばれたロベルト・バッジョ選手は1993年度の欧州年間最優秀選手・FIFA世界年間最優秀選手を受賞する名手です。

競走馬のコディーノはというと、デビューから3連勝で2歳王者決定戦・朝日FSの最有力候補になっていた素質馬でした。

G1の舞台で単勝人気1.3倍という圧倒的な支持を受けていたものの、伏兵ロゴタイプにクビ差及ばず2着。

皐月賞では同じくロゴタイプの前に3着と敗れてしまいます。

非常に見栄えの良い馬で、4歳になっても2戦連続で1番人気に推されるなど期待を受けていましたが、夏を前に疝痛を発症。

美浦トレーニングセンターで開腹手術を受けたものの、惜しくも安楽死処分となりました。

しかし、彼の全妹であるチェッキーノがオークスで2着になるなど、彼の一族の戦いはまだまだ続いていきます。


さて「サッカー馬名」特集はお楽しみいただけたでしょうか?

サッカーと競馬、意外と繋がりは深いものです!

是非サッカーファンの皆さまが競馬に興味を持つきっかけになればと思います。

頑張れニッポン!頑張れ日本馬!

文・オガタKSN

写真・笠原小百合、ラクト