馬の福祉

1.乗馬と廃用

「今日はアラシはクラウドに乗れ」

10年前に私が現役の馬乗りだった頃、コーチからそんな指示が出た。意外と言えば意外だった。

温和な『クラウド』は乗馬クラブのなかでも娯楽志向の会員さん向けの、いわゆる「良い馬」だ。これまで1000鞍以上乗り込み、技術的な指導を受けてきた私に騎乗機会が回ってくる事は、殆ど考えられない馬だった。

この馬に乗ったのはそれより1年か半年前だったかも知れない。クラウドがウチの乗馬クラブに来た時に、何度か「慣らし」で騎乗した事がある。

乗馬クラブに新しくやってきた新馬(馬術の世界では新しく入厩した馬であればどんな年齢でも新馬と呼ぶ)は、環境に慣れておらず暴れる危険があったり、そもそも能力や気性もどういった段階かも分からないので、まずは上級者が乗って環境に慣らしつつ能力を見定める。その後、しかるべき技量のクラスの騎乗者が集まるレッスンに送り込まれるのだ。

クラウドは自分から進む気持ちが強く、脚も頑健、性格も温厚な方だったので、初級者クラス向けと判断された。

「こういう良い馬に乗る機会はこういう時しかないよな……」

馬術の世界では基本的に上級者がクセ馬に騎乗する。当時の私は、男性の上級者という事もあり、癖の強い馬ばかりを割り当てられ、馬術という競技に辟易としはじめていた。そのため、少し惜しいような気持ちでクラウドを眺めていた記憶がある。

そのクラウドが、上級者のレッスンに戻ってきた。

どういう事か──こちらとしては、理由は明白だ。

いざ乗って見ると、常歩の感触は以前と変わらない。では速歩はどうか。

すると「あ、そういう事なのかな……」と、自分なりに納得した。

速歩まで歩度を上げると、どういうワケかクラウドは軽い尻っぱねを小刻みに使ってきた。普通は指示を拒絶する動作なのだが、こちらとしては何も指示を出していないのに、軽い小さな尻っぱねを何度もしてくる。おかしい。馬がワザとやっている。

私はおそるおそる尋ねた。

 「コーチ、これってもしかして……」

 「そう。尻っぱねをすれば乗り手が恐怖して指示を出さなくなるのを悟ってしまったみたいなんだ。このくらいの尻っぱねでも、初級者クラスの会員さんには危ないので乗せられない。今後は中級~上級で面倒をみるから」

との返答。

実はよくある話で、私としても納得だった。

初心者クラスで悪癖がついてしまい、上級者しか乗りようがなくなる馬は、乗馬クラブでは数多くいる。

競走馬時代はプロに乗られて気を抜くスキもなかったのが、乗馬に転身してからは乗り手のレベルも変わる。そういう馬が多くなるのも無理のない話だ。

日本の乗馬の市場は、初心者クラスの乗り手によって支えられている。

多くの方は馬に乗る事を楽しんだり、馬と触れる事で癒されたりする事を目的に乗馬クラブに通っているのだ。私のように選手として技量の向上を目指し、ライセンスを取得する人は、全体の数%程度だろう。

つまり、初心者の人を乗せられない馬は、乗馬の馬としては不適格という烙印を押される。

 (ええと、そうなるとミラージュ、アイズ、それともパルクも怪しいか……)

ここで、どうしても考えてしまう事がある。

クラウドが上級向けに変更してきてしまったという事は、すでに上級者向けとして位置づけられている馬が一頭、乗馬クラブを去る事を意味している。もちろん、上級者しか乗れない様なクセ馬を乗馬として引き取ってくれる移籍先など、普通は無い。

もっとストレートに表現すると、乗馬クラブを出された馬はほぼ「廃用」とするしか手立てがない──つまり食肉となるのだ。食肉仲介業者にとってはタダ同然で成獣の馬の肉が手に入るので、電話一本で引き取りに来てくれる。牛や豚が生産→育成→食肉という時間と手間を経るのに比べれば、遥かに手易い。馬肉が世の中に流通するのにはそういった理由も一つあるのだろう。

先にも述べたとおり、日本の乗馬市場は大多数の初心者層が支えており、どんなクセ馬でも乗れるような上級者は極めて少ない。つまり初心者クラスで悪癖がついた馬が上級レッスンにあまりにもたくさん回って来てしまうと、少ない上級者では捌ききれなくなるのだ。

一方で、初心者クラス向けである馬の頭数にも不足が発生し、そうした馬たちの負担も大きくなっている──そうすると、己ずと悪癖がつく確率も上がってくる。

そこで、どうしてもクセ馬を一頭、乗馬クラブから放出しなくてはならなくなる。馬房の数に限りがある以上、仕方がない事なのだ。

 

 

かくして、パルクが放出された。

そして馬房に一つ空きが出るのでまた新しい馬が入ってくる。

これが乗馬クラブの馬のサイクルだ。

 

 

実は、廃用馬を見送る所に立ち会ったり、出くわしたりした事は私は一度も無い。「ある日、突然いなくなっていた」というケースがお決まりなので会員さんに気づかれないよう、夜中にスタッフが業者に引き渡しているのだろうと思う。

一度悪癖がついた馬を、調教によって、元の良かった頃の状態に戻すのは(競馬の競走馬を見ればお分かり頂けるかとも思うが)極めて難しい。不可能に近いと言っても過言ではないくらいだ。だから本当であれば悪癖がつかないように乗るのが最善なのだ。ただ、乗馬に癒しや楽しみを求めてきている方たちにそうした技術的な騎乗を強いる事はできないし、それは日本の乗馬市場の維持という視点から見ても適切な事ではないようにも感じる。

それと、もっと大きな視点で見ると目の前の馬を一頭、調教により立ち直らせたからと言って、馬の福祉向上に役立っている事にはならないと言う点も出てくる。

もし調教が成功して、クセ馬が元の状態に戻ったとしよう。その場合、その馬自身の命は助かるが、それによって馬房の空きが出なかったために再就職先を見つけられなかった競走馬が一頭、自分の目に見えない所で廃用になる。それだけの話なのだ。

だから、目の前の馬一頭を助けて「自分は馬の福祉向上に取り組んでいる」と胸を張る人は、あくまでも私の価値観から言うと、それは「ただの自己満足でしかない」。もっと全体的に、より多くの馬の命を永らえさせないと、この問題の解決に取り組んでいるとは言えないと思うのが私の昔からの持論だ。

2.タブー視の風潮

『1.乗馬と廃用』では、乗馬シーンにおける馬のサイクルの一例を(もちろん実際にはもっと沢山事例がある)できるだけ等身大で伝わるよう書いたつもりだが、読者の皆様はどう感じられただろうか。

こうした記事を書くと「知らない世界の話で非常にタメになった、理解が深まった」と言う声と、「よくそんな記事をつらつらと書けるな」という声の二つに分かれると思う。

 

馬の生命を話題にする事を隠避する馬乗りは多い。本当に信頼している人間にしか話さない。冷静に現状を受け止めて、この状況を改善させて行こうと思っている人にしか、リアルでは話せないのだ。先に述べたうちの後者のタイプには話したくない・話しても仕方がない……と言う考えが、どうしても先に立つ。

ある馬が退厩になった時に「どうしてあの馬を助けられなかったの?」と初心者クラスの方々に詰問される事は正直多い。

そこで、『1.乗馬と廃用』で述べたような内容を話せるだろうか?答えはNOだ。

受け取り方によっては「元々はあなた達が悪癖をつけたから、ダメになってしまったんだ。馬は悪癖がつくと元に戻らない。未然に癖がつかない様乗るしかない」と聞こえるだろうし、実際その様に言っている。

それで大きなショックを受けて馬に乗れなくなったり、乗馬を楽しめなくなっては元も子もないのだ。

何度も述べている通り、日本の乗馬市場を支えているのは間違いなく初心者層だ。もし初心者層がいなくなったら、日本の乗馬市場は一気に衰退し、競走馬の再就職先は今よりも更に狭き門になってしまう。初心者の方々がいるから、競走馬の再就職先がある。その再就職先の初心者クラスでの生活で悪癖がついてしまうという弊害があり、そして目の前の馬一頭を救ったところで助けられる命の総数自体に大きな変化は無い──そういう構造なのだ。

そういう理由もあって「どうしてあの馬を助けられなかったの?」という詰問に対し、「自分の力不足で……」と返している自分がいた。当時まだ若かった自分にとってこれはなかなか受け流し難く、私は馬から降りた。

そんなワケで、馬乗りとしてはなかなか真相を周囲に話せない。話したところで、相手が打ちひしがれたり硬直的な反応を返されたりしたのでは、問題の改善にはつながらない。

乗馬の世界では退厩馬が廃用となった経緯を説明したり、食肉になったと伝える事は現状、原則としてタブーなのだ。

3.現状の認識を広めるべき

どんな問題でも改善にあたって「今、こういう現状があるから、こういう風に改善していこう」という議論が不可欠だが、こと馬の福祉については、その現状を論じる事自体が難しいと思う

現状を広く認知してもらう事が難しいので、改善も難しい。この10年、個人的な視点からすると大して問題の改善はしていない様に思えるのがちょっと切ない所だ。

 

馬の福祉向上には議論の前に現状認識を広める事が必要、という状況下にはある。しかし改善云々を議論しようにも、現状を伝える事自体が結構なタブーなので、中々広められないのだ。

 

私が現役だった10年前と同様、馬の福祉についての取り組みはまだまだ入口の段階にしかない。

リアルな現状を知っていただき、問題改善のための議論に必要な下地が少しでも情勢できればと思い、この記事を書いた。

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文・アラシ

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