ブロードアピール~砂を切り裂く鬼の末脚~

 

2000年11月12日、エリザベス女王杯開催日。

私は京都競馬場にいた。

 

20世紀最後の競馬界はテイエムオペラオーが無尽の強さを見せつけ、破竹の連勝を飾っていた。

古馬の王道路線をひた走るテイエムオペラオーを尻目に、牝馬戦線は少々盛り上がりにかけていた印象もあるが、それでもGⅠともなれば競馬場は人で溢れていた。

 

そのエリザベス女王杯では、どんな馬券を買っただろうか?たしか、ペリエから買った記憶があるが……詳細は思い出せない。きっと人気馬にでも流していたのだろう。

 

エリザベス女王杯の出走を待ちわびる傍ら、裏開催の東京競馬場のメインレースが始まった。

根岸ステークスである。

正直、ほとんど興味はなかった。

 

当時の私は、どこかしら、芝のレースよりダートのレースを下に見ていた気がする。

芝のレースで勝つ馬が強い馬──良い馬だと。

 

ダートは差し、追い込みが効きづらく、逃げた馬がそのままゴールするシーンがよく見受けられた。

この根岸ステークスも例外ではなく、逃げた馬(エイシンサンルイス)がそのままゴールするのだろうと、特に深くも考えずターフビジョンを眺めていた。

 

やっぱりダートは面白くないな……。

そう思った矢先、ゴール前を映し出すターフビジョンの、枠の外から飛んでくる一頭の馬がいた。

ブロードアピールである。

一頭だけ他の馬と足の回転がまったく異なり、まるで芝の上を走っているようだった。

 

しかし、逃げた馬までの距離は7馬身~8馬身程度ある。誰もが届かないと思ったはずだ。

私も仕掛けるのが遅すぎるだろうと思っていた。

 

──が、届いた。

ダート1200メートルを最後の直線だけで全頭かわしたのだ。

エリザベス女王杯のことを忘れ、ただ呆然とターフビジョンを見つめる私がいた。

それが、ブロードアピールと私の出会いである。

 

当時はスマホなどはなく、インターネットもほとんど普及していなかった。

エリザベス女王杯が終わるや否や、すぐに競馬場を後にし、本屋で競馬四季報を手にする。

 

なぜこんな剛脚を持っている馬がほとんど無名に近かったのか、不思議でならなかった。

芝も走れるのか?

距離はマイルまで持つのか?

 

久しぶりに電撃に打たれたような衝撃に見舞われ、競馬にのめりこみ始めた頃に戻ったような気分になる。

ワクワクしながらブロードアピールのことを調べてみたが、調べれば調べるほど分からないことが増えてしまった。

 

ブロードアピールのデビューは4歳(旧馬齢で現3歳)の秋。

素質馬や期待が高い馬は必ず3歳から始動を始め、クラッシックを目指す。

 

デビューは遅かったものの、走り出すと順調な結果を出し、2戦目で初勝利を掴んだ後に芝のレースで4連勝を飾る。

 

この「芝のレースで4連勝」がブロードアピールのベストの舞台を見誤らせたのかもしれない。

GⅢの京都牝馬特別は3着に敗れたものの、続く芝の準オープンを4馬身差の圧勝。

阪急杯も桜花賞馬のキョウエイマーチと勝ち負けしたものだから、全員が芝路線しか考えていなかったのかもしれない。

 

その後はなかなか勝ちきれなかったものの、シルクロードSを勝ってようやく重賞ウイナーに。

しかし、この時すでに7歳。

同期の馬たちは引退したり、この世を去ったりしていた。

 

 

 

少し話が逸れるが、ブロードアピールの同期の馬と聞いてピンと来るだろうか?

 

サイレンススズカ、タイキシャトル、シーキングザパールなどが代表格であるが、私はまったくピンと来ない。

そんな馬たちがターフを去った後も、まだブロードアピールのベスト舞台は見つかっていなかったのだ。

 

シルクロードSを勝った後、8戦目にしてようやくベストな舞台が見つかる。

それが冒頭に述べた根岸ステークス、ダートの1200メートルである。

そこからブロードアピールの、本当の快進撃が始まった。

 

ダートの短距離において、追い込みだけで3着を外さない。

東京、阪神、中山、地方……どの競馬場、どんな展開でも必ず、追い込んでくる。

ダートの追い込み馬でここまでの安心感があったのは、今も昔もブロードアピールだけではないだろうか。

 

そんなブロードアピールに魅了された人は、少なくないはずだ。

惜しむべきは、ダートの1200、1400メートル戦でしか、この足を繰り出せないこと。

そんな不器用なところが愛おしくもあるのだが。

 

国内最終戦は武豊を背にガーネットSを快勝。

その後、ダート短距離の最高峰、ドバイゴールデンシャヒーンに出走し5着。ここで現役を引退した。

 

最終戦績は36戦13勝2着5回、獲得賞金は5億円を超える。

十分すぎるくらい立派な成績だ。

 

引退後も、母馬の欄や父母馬の欄にブロードアピールの名前が載っていると注目してしまう。

ブロードアピールの孫であるワグネリアンがダービーを勝った時は、ブロードアピールが勝ったかのような喜びがあった。

ブラッド・スポーツと呼ばれる競馬の本当の楽しみ方は、これが正しいのかもしれない。

 

現在のブロードアピールは、繁殖を引退し北海道で余生を過ごしている。

現役時代に与えてくれた興奮と感動に対する恩返しをしたいと思い、少額ではあるがブロードアピールのサポーターにもなった。

 

サポーターは、1円の得にもならない。それでもいいからサポートしたいと思う馬は、もしかすると今後、もう出てこないかもしれない。

北海道はすぐに行ける距離ではないが、いつかブロードアピールに会いに行きたいと思う。大量の人参を持って。

 

 

文・例の元上司

写真・かず

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