ソリッドプラチナムによる、ステイゴールド産駒初の重賞制覇にファンが歓喜した2006年。 

2世代目(2004年産)にして、種牡馬・ステイゴールドの評価を一変させる産駒が登場します。 

ドリームジャーニー。 

母オリエンタルアートの初仔として産まれたこの馬は、小さい産駒が多いステイ産駒の中でも特に小柄で、デビュー戦の馬体重は426キロでした。その馬体は、見た目にも「ちっちゃいなぁ」と感じるほどでした。 

厩舎は2年前に開業していた池江泰寿厩舎。 
一説には、父ステイ・母父マックという『池江ブランド』の仔だった事で預託が決まったとも言われていました。 

デビュー戦は2番人気。スタート後中団の外につけ、4角では一気に先頭に並びかけます。 
直線に入ると、断然の1番人気デスコベルタとのマッチレースをクビ差制して、新馬勝ち。 
3着馬とは5馬身以上の差をつけ、上がりも最速。 

この時点で「ステイ産駒では過去最強かもしれない」と感じさせるほどの、素晴らしい内容でした。 
2戦目のオープン特別「芙蓉S」も勝ち、新馬・特別と2連勝で、東京スポーツ杯2歳S(GⅢ)へ向かいます。 
ここで「超大物」の呼び声高かったフサイチホウオ―に屈しますが、0.1秒差の3着と、力は示してくれました。 

そして2006年12月10日。 
朝日杯FSに駒を進めたドリームジャーニーは、2番人気に推されます。 

「ステイ産駒から重賞馬が何頭か出てくれれば……」程度の期待だったあの日からたった一年半で、GIを狙えるチャンスが到来しましたが、正直なところ期待と不安が半々でした。 

ただ、1番人気オースミダイドウはデイリー杯で既に重賞を制し3連勝中という実績馬だったこともあり「GIだし、掲示板に上がれば凄いぞ」程度に想いを抑えながらのTV観戦でした。 

スタート後しばらくしてオースミダイドウがハナへ。 
ジャーニーの姿はいつまでたっても確認できず、実況でも出てこない。 
ようやく出てきたと思ったら、なんとブービーからも3馬身ほど離れた最後方……。 

過去3戦でもここまで後ろの位置での競馬はなかっただけに、この時点で「だめかぁ」と諦めていました。 
4角では中団あたりまで進出したものの大外を回っていて、これはとてもじゃないけど届くような位置ではないなぁ……と。 

ところが直線、大外から一頭だけ違う脚でジャーニーが伸びてきたのです。 
まさに矢のような伸び。 
あっという間に10数頭をゴボウ抜きにしての完勝劇。 

夢にまでみたステイ産駒のGI初勝利! 
もちろん、TVの前で号泣です。 

本当に信じられない気持ちで、しばらく放心状態でした。 

蛯名騎手がインタビューで「軽く飛びましたね」と、当時武豊騎手がディープインパクトに対して使った言葉を引用して語った事からも、いかに凄い末脚だったのかがわかります。 

ちなみに、当日の馬体重416キロは、朝日杯優勝馬としては史上最軽量馬体重記録でした。 
この勝利で、ステイ産駒は「小さい」「晩成型では」から、「小さくても走る」「2歳からでも走る」と、評価が一変。 

翌年の種付数は再び129頭と、3桁に増加したのです。 

最優秀2歳牡馬に選出されたジャーニーには、当然「ステイ産駒に初クラシックを!」と期待したのですが、そう簡単にはいかず、皐月賞8着・ダービーは5着という結果で終わります。 
秋初戦の神戸新聞杯では武豊騎手が初騎乗し重賞2勝目を上げたものの、菊花賞は5着。 
結局クラシックは無冠に終わり、その後距離を短縮した鳴尾記念も8着と惨敗し、3歳シーズンは神戸新聞杯での1勝に終わります。 

4歳初戦、マイラーズCで14着と大敗した時には、「これはもう復活は難しいかな……」と感じていました。 

ところが、ここでまた運命の分岐点が訪れます。 
次走に安田記念を選択したのですが、主戦の武豊騎手に先約があった為、後に名コンビとなる池添騎手が代打として起用されたのです。 

安田記念は10着と大敗したものの、前走との比較でレースぶりに復調気配は見てとれました。  
そこで、陣営は夏の小倉転戦を決断。 
小倉記念(GⅢ)で復活を狙います。 
ところがまたも武豊騎手が騎乗停止で乗れず、再度鞍上は池添騎手に。これにはご本人の希望もあってだったとか。 
この小倉記念では、3角12番手から一気のマクリで、4角では3番手に。 
そして直線あっさり抜け出し3馬身差をつける圧勝と、鮮やかな復活を見せ1年ぶりの重賞3勝目をあげました。 

好騎乗を見せた池添騎手は、以後引退までコンビを継続することになります。 

次走の朝日チャレンジカップ(GⅢ)で重賞2連勝。天皇賞・秋は10着と大敗しますが、暮れの有馬記念でダイワスカーレットの4着と大健闘。翌年の飛躍を感じさせてくれました。 

そして、明けて5歳。 
この年はジャーニー飛躍の年となります。AJCC8着、中山記念2着と2連敗で迎えた産経大阪杯(GⅡ)。 

前年のダービー馬ディープスカイをはじめ、二冠牝馬カワカミプリンセス、マツリダゴッホ等、錚々たるGI馬を向こうにまわしての一戦。 

道中、池添騎手は、断然の1番人気ディープスカイの直後を終始ぴったりとマーク。 
直線ディープスカイが動くのと同時に仕掛け、外から一気に交わしにかかります。 

粘る相手をクビ差差し切っての勝利で、重賞5勝目。 
未だGI級の力がある事を見せつけました。 

次走、池添騎手の進言で天皇賞・春に挑戦。距離適性からも難しいだろうと見られたものの、3着と好走。好調を維持したまま、宝塚記念(GI)に臨みます。 

1番人気はディープスカイ。 
大阪杯では2キロ差あった斤量が同斤の58キロとなった事で、今度はジャーニーには負けないだろうという評価でした。 

レースはコスモバルクが10馬身近く離して逃げる展開に。 
池添Jは大阪杯同様、ディープスカイの直後を徹底マークします。 
4角で手応えが怪しくなったディープスカイに楽に並びかけると、直線で早々に抜き去ります。 

内で粘るサクラメガワンダーも楽々捉え、2馬身近く引き離しての快勝! 
ステイ産駒GI2勝目にして、古馬GI初制覇となりました。 

数年後「ステイ産駒の庭」と言われる宝塚記念の快進撃は、この時始まったのです。 
その後、秋初戦のオールカマーを2着、天皇賞・秋は苦手の左回りで6着と2連敗で迎えた2009年12月27日、有馬記念。 

ここでジャーニーは生涯最高のレースを見せます。 

当日、ジャーニーは2番人気。 
1番人気はこの年牝馬二冠を制した3歳牝馬ブエナビスタ。 

スタートで出遅れたジャーニーは最後方近くの定位置をキープ。1000m58秒6という超ハイペースでリーチザクラウンが引っ張る中、ブエナビスタは5番手辺りを追走。 

いつも通り3角半ばから仕掛けるジャーニーは、4角で中段大外まで進出します。 
直線抜け出したマツリダゴッホをブエナビスタが交わすと、その外からジャーニーが一気に並びかけます。 

そこからは2頭のマッチレース。 
壮絶な叩き合いの末、半馬身抜け出したジャーニーが、史上9頭目の春秋グランプリ制覇という快挙を達成しました。 

タイムは2分30秒ジャスト。 

この時計は2004年ゼンノロブロイのマークした2分29秒5のレコードに次ぐ快時計で、その年以降2019年現在に至るまで最速の勝ち時計です。 
それ程過酷なレースを、3着馬を4馬身ちぎってのマッチレース──心底、痺れるレースでした。 
このレース以降、翌年には球節炎を発症し、引退までの1年半、ジャーニーは善戦はするものの、7戦未勝利に終わります。 

やはりあの有馬記念で燃え尽きたんだなと、今でも思っています。 

そして、このジャーニーの活躍により、実は社台から放出される寸前だった母オリエンタルアートが、社台にとどまる事が決まったというのも──種牡馬ステイにとって、後に非常に幸運をもたらす事になりますが、それはまた別のお話。 

現在は種牡馬となったジャーニー。 

受胎率の悪さから登録数は少ないものの、初年度産駒は33頭中16頭が勝ち上がり、48.4%という高い勝ち上り率をマーク。ミライヘノツバサが日経賞2着・AJCC3着、エスティタート(引退)がシルクロードS2着・京都牝馬S3着など、頑張ってくれました。 

3世代目からはトゥラヴェスーラが新設重賞の葵賞で2着、現3歳世代では、トオヤリトセイトがアーリントンCで3着となるなど、産駒の初重賞制覇まであと一歩ですが、残念ながら未だにJRA重賞勝ち馬は出せていません。

そして……。
ジャーニーは現在、社台スタリオンの種牡馬厩舎から、功労馬厩舎に移動しています。種付けは希望者には応相談という事で、オフィシャルに価格提示等はなく、実質的には種牡馬としてはリタイアした状況となりました。

非常に残念ではありますが、功労馬として余生を送れる事は嬉しく思っています。

とはいえ、まだ現役で楽しみな馬はいますし、ナカヤマフェスタのように種牡馬復活の可能性もゼロではないと希望も捨てていません。

父ステイゴールドの大種牡馬への入口を開いてくれたジャーニー。本当にありがとう。

彼がこのまま種牡馬生活を終えたとしても、幸せな余生を送れる事を心から祈っています。

写真:Horse Memorys

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