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エスポワールシチー~相棒とともに歩んだ希望~

 

 

「エスポくん」

 

佐藤哲三騎手(当時)が勝利騎手インタビューでエスポワールシチーをあだ名で表現したことから、この名前は競馬ファンの間に広まった。幾多の名馬のなかでも愛称が『クンづけ』だった馬はあまり記憶にない。

ステキシンスケクン、ヨシカワクン、最近ではハヤブサナンデクン、船橋のグランプリクンなど馬名にクンがつく、いわゆる珍馬名の類であれば何頭か思い浮かぶものの、ニックネームにクンがつく馬がなかなか思い浮かばないのだ。

 

しかし、そんな愛嬌あるあだ名とは裏腹に、エスポワールシチーは500キロを越える大型馬。

かつてド迫力のダート界で、絶対王者として時代を彩った。

 

父ゴールドアリュール、母エミネントシチー、母の父ブライアンズタイム。

血統的にみて、文句なしの砂エリートではあったものの、デビューは3歳春の阪神芝1600m戦だった。

出世が望まれる馬はまず芝で……という傾向は今も変わらないのかもしれない。デビュー戦の結果は3着。以後芝を使われ6戦目、夏の小倉芝1200m戦で初勝利をあげた。

 

転機が訪れるのは、それから2戦目──同じく夏の小倉だった。

はじめて使われたダート戦でエスポワールシチーはそれまでから変貌を遂げたように、後続に1秒1、7馬身差をつけ圧勝、2勝目をあげた。

 

そこからエスポワールシチーはダートを主戦場に頭角をあらわし、3歳シーズンのうちにオープン特別を勝つまでになった。翌年からは重賞戦線へ進み、平安Sで2着、フェブラリーSで4着と善戦。

そして、マーチSを迎える。

 

主戦の佐藤哲三騎手は同日の中京で行なわれた高松宮記念でコスモベルに騎乗していたため、パートナーはこれが2度目の騎乗となる松岡正海騎手に替わっていた。

エスポワールシチーにとってそのレースは、トリッキーな中山コースへの初挑戦となるレースだった。

しかし、逃げるダイナミックグロウの直後3~2番手の絶好位にとりつくと、4角では周囲の騎手が手綱を激しく動かすなか、エスポワールシチーの松岡正海だけは馬なりのまま。直線で追い出されると、すっと馬群から抜け出した。

 

このレースに、以降のエスポワールシチーを予感させるものがあった。

 

彼の最大の武器は乗り手に従順であること、そしてダートでは貴重なスピードがあること、瞬時に加速できることにあった。道中はいい位置につけ、無駄なことはしない。ダート戦特有のまくり合戦にも動じず、じっと乗り手のゴーサインを待つ。

そしてひとたびゴーがかかると、一気にスパートする。

まるで芝で活躍する馬のような、瞬時のギアチェンジが可能だった。

 

優等生という言葉が似合うと同時に、「エスポくん」なんてかわいい名前がちょっとしっくりくる。そして、「エスポくん」と呼び、かわいがる佐藤哲三騎手にこそエスポワールシチーのレース運びの巧みさのルーツがあった。

 

佐藤哲三騎手は近年の「一発で答えを出さないと騎手交代」という風潮に逆らうかのようなポリシーがあった。それは調教で馬に学ばせ、実践でそれを試し、その積み重ねから結果を出し、乗り手の自由になるような馬作りにある。

 

それを証明したレースが、中央初GⅠ制覇となったジャパンカップダート(当時)だった。

 

このレースは確固たる逃げ馬がおらず、アメリカから参戦したティズウェイがハナに行くのかどうかと言われていた。レースはティズウェイが引いたことでエスポワールシチーが逃げる展開になったが、佐藤哲三騎手はティズウェイ陣営が引いて番手から競馬することを想定し、迷わずハナに行かせた。そこには、スピードに長けたエスポワールシチーが逃げても折り合いよく運べることへの自信が垣間見えていた。

事実、マイペースで運んだエスポワールシチーは4角を馬なりで通過。直線入り口からのゴーサインに反応すると、あっさり後続を突き放した。

それはまるでマーチSの再現を見るかのような、いつもと同じような競馬だった。

この「いつもと同じ競馬」にこそ、佐藤哲三騎手の哲学・美学が凝縮されている。いついかなる場合であっても、同じ競馬ができるように──彼は相棒たちに、日々競馬を教え込んでいたのだ。

当時のコメントに「今まで付きっきりでやってきて、折り合いもつくようになって、より進化してくれました」とある。これはずっと馬とともにレースの合間を過ごしてきた人間にしか出せないコメントだ。

 

翌年のフェブラリーSも競馬場は違えど、ほぼ同じような競馬で制した。直線を向くまでは折り合ったままの馬なり、残り400mでゴーサインに応える。

エスポワールシチーが勝ったレースはほぼこのパターンである。

そして、これこそ負けない競馬、王者のレースであり、佐藤哲三騎手がエスポワールシチーと目指した理想だったにちがいない。

 

毎レースその理想型をきっちり守るエスポワールシチーだからこそ、いつしか佐藤哲三騎手は「エスポくん」と呼ぶようになり、それを公言するようになったのだろう。相棒というにふさわしく逞しい存在であることを誇りに思ったからこそ。

 

そして、時を経て、我々は似たようなコンビを目撃する。

香港クイーンエリザベスⅡ世カップを制したウインブライトと松岡正海騎手だ。ジョッキーは勝利後にシャティンの2000m特有の激しい先行争いについて聞かれ「寄られても折り合いを気にしないですし、そういう風に教えてきたので、教えてきたことがいかされたと思います」と答えた。

 

松岡正海騎手もまた、佐藤哲三騎手と同じく馬に丁寧に教えるタイプで、ウインブライトはその結晶ともいえる1頭なのだ。

奇しくもエスポワールシチー初重賞制覇時のパートナーは、松岡正海騎手。ジョッキーのバトンの受け渡しもまた、絶妙だったということだろう。

文・勝木淳

写真・Horse Memorys

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