初恋は競馬とともに〜スペシャルウィークとS君〜

 

土曜日になると、父は難しい顔をして新聞を睨んでいることが多かった。

小さい頃は仕事をしていると思っていたのだが、どうやら違う。

それが競馬の予想をしているということに気づいたのは、小学校4年生の頃だった。

「競馬?」

「せやで、1着はどの馬になるかを当てるねん」

娘が競馬に興味を持ったのがうれしいのか、父は馬柱の読み方やら父の考える「当てるポイント」などを伝授してくれた。しかし私はそんなことは右から左で、聞いたことのある馬の名前を探した。

「あった」

グラスワンダーと、スペシャルウィーク。

「お父さん、グラスワンダーとスペシャルウィークはどっちが強いの?」

「どっちやろなぁ。短い距離やったらグラス、長くなればなるほどスペシャルウィークのほうが分がええかも知らんなぁ。なんや、どっちかの馬が好きなんか?」

「……そういうんちゃうけど」

 

私は、土曜も日曜も飛び越えて、早く月曜にならないかと思った。

早く、彼と話したい。

彼と学校で競馬の話がしたい。

 

 

私は4年生で、初めて恋をした。

もっとも、そのときはそれが恋だとは気付いていなかった。ただ、彼と一緒にいたい、話をしたい、仲良くなりたい──。

すらっと長い手足でいつもグラウンドを駆け回ってるあこがれの人、S君。彼のサッカー以外の趣味が、競馬観戦だったのだ。

 

彼はスペシャルウィークが好きだった。

そして、ダービーはスペシャルウィークがとると言っていた。

私はその話に入りたかったのだ。

休憩時間になると彼が、競馬の本を広げて周りの友達に話しかける。今思えば、全く競馬に興味なさそうな友達は困惑していたことだろう(笑)

「弥生賞をとったし、今年は絶対にタケがダービーとるねんで!スペシャルウィークがダービー取るに決まってる!」

私は、ドキドキしながら話しかけた。

「でも、3歳の最強はグラスワンダーやで」

普段からグループも違い、同じクラスということぐらいしか共通点もない私に話しかけられて、Sはとても驚いたようだった。

「おまえ、競馬の話わかるん?グラスワンダー好きなん?」

私はなんとなく「スペシャルウィーク、私も好きだよ!」といえずに頷いた。

「……短い距離ではグラスワンダーのほうが強そう、長い距離ならスペシャルウィーク……もし2400mだったら」

「ええ勝負するやろうなぁ、グラスとスペシャルウィークみたいに、俺らもライバルやな!」

そして私は、それから毎日のように彼と話をするようになった。

競馬のおかげで、私は毎週が特別な一週間(スペシャルウィーク)になった。

 

しかし結局、グラスワンダーは骨折休養。「小川、残念やったなぁ」と彼は慰めてくれた。

もうその頃には、過去の競馬の資料を漁り、毎週競馬中継を見るようになってほかに気になる馬もできていた私は──既に、彼だけでなく競馬の魅力にとりつかれていた。

ダービーは、私の誕生日当日だった。

 

二人で、飽きるほど話もして、ついでみたいに誕生日おめでとうと言われた。

 

 

急速に仲良くなった私たちはその夏、浴衣で友達数人と夏祭りにいった。

「G1がないから話すことみつからん……」

「……うちも」

なんて言いながら笑った。そのころにはもう、これが恋だと気付いていた。そしてたぶん、私はこの関係を壊したくないから、その想いを隠し続けるのだろう。

 

夏祭りから帰った私に母は「S君と、どないやった?」と嬉しそうに聞いてきた。

「告白された?」と妹まで聞いてくる。私は「次は、菊花賞やなーって話ししてただけやもん」としか言えなかった。

S君はクラスでも人気者で、競馬の話でしかつながりがなくて、彼にとっては単なる競馬仲間で──そんな私が「好き」って言ってしまうと、S君は嫌なんじゃないか。

競馬の話をずーっとしているほうが、お互い楽しくて幸せに決まっている……私はそう、自分に言い聞かせていた。

 

 

S君には、変なクセがあった。

体育の授業や部活でのランニングで、自分を馬と見立てて走るのだ。位置につくまえは、頭を上下に揺らしたり、尻っぱねをしたり。

ほかの人は「変なの」と言ってたけれど、あれは「パドック」なのだ、と私だけが判っている気がして、尚更彼から目が離せなかった。

 

 サイレンススズカの悲劇も。

 グラスの復活した有馬記念も。

 エルコンドルパサーの海外遠征も。

 あの時代の競馬の思い出は、いつも彼と一緒にあった。

 

中学にあがって、小学校のころほど話はしなくなったが、相変わらず大きなレース前には教室で競馬新聞を広げて話した。

けれど、私は長いことその輪に入ることができなかった。人間関係に悩み、挫折して、不登校の引きこもりになってしまっていたのだ。

高校の進路を決める段に至って私は、同じ中学の人が誰もいない高校へ進学を希望した。そこは、同学年どころか、私の学校からの入学者がいない異国の地ともいえる場所だった。

 

 

そんなある日、突然彼が家にやってきた。

 

「誕生日プレゼント、昔もらいっぱなしやったから」

開けてみるとそれは、タイキシャトルのテレホンカードだった。

「好きかどうかわからんけど……」

「ありがとう」

 

私は泣きそうになるのを必死にこらえた。

彼はそれ以上なにも言わなかった。なにも考えてなかったのかもしれない。だけど私は彼の行動で確かに「私は学校でもひとりぼっちではない」と感じた。

そして、誰も知らない場所に行っても、タイキシャトルのように、前に向かって進んでいこう。と。

骨折で4歳を棒に振ったグラスワンダーが、それでもあきらめず前へ向かい、傷をいやして復活したように。

 

私はそのあと再び、休み休み学校に通い始めることができた。

そして、少しでも学校に行けたおかげで、忘れられないあの体育祭を見ることもできた。

 

 

運動神経の悪い私の出場競技はたしか玉入れのうちの1人だった。彼は足も速く、サッカー部に所属していたので、リレーの選手と……もうひとつ、誰もやりたがらなかった1500m走の選手になっていた。

学校の運動場は狭い。1500mの選手は一周200mあるかないかのトラックを、7周してゴールする。

入場の時から彼は完全に、競馬モードに入っていた。首をぶんぶん振ったり、同じ出場選手にちょっかいかけてみたり、ジャンプしたり……私が馬券を買う立場だったら、彼の馬券は買わないだろうなと思うほど、チャカチャカしていた。

 

──位置について、よーい、スタート!!

 

12人が、一斉に走り出す。

下馬評では

「こんなんSが圧勝やろ」

「バスケ部の奴をマークしないとあかん」

「ほかの奴らは文化系やからなぁ」

と最初からS君が飛び出すと予想されていた。

しかし、レースが始まると大勢の予想と裏切る展開が待っていた。

S君は、最後から3番目くらいをキープしたのだ。

まだまだ走れるというケロッとした顔をしながら、それでもスピードは出さずにじっくり前にいるバスケ部の選手を見つめていた。

……思い出した。あのS君という男、ものすごく差しや追い込みが好きだった。

 

「なにやってるんやSー!!」

負けず嫌いの担任の声など意にも介さず、スピードを上げる気配はない。いつしかリタイアをのぞいた最後尾だ。

でも、私は知っていた。最後の直線一気が好きな男、自分がやるとしたら最後の一周で……。

 

ラスト1周にさしかかった時、運動場が揺れるような「わーーーっ!」という歓声がわきあがった。S君がスパートをかけたのだ。

ほとんど最後尾から、中断集団を一気にかわす。そのスピードは短距離走のそれ、突然のスパートに誰もついていけない。

先頭集団をコーナーでオーバーラン気味にかわし、先頭でゴール!!!

 

見事優勝!と思いきや、先にもう1人バスケ部の男子がゴール済みだったらしい。S君は2位だった。

 

「おいー、そのスピードで最初から行ってたら優勝やったやろ!」と負けず嫌いな担任が彼を捕まえていた。

 

「すごい追い込み、ヒシアマゾン!」

「優勝してたらかっこええんやけど、1人数え間違えたみたいやわ……」

「ゴール板間違えたみたいな感じ?」

「そうかも。優勝やとおもってんけどなー」

 

 

小学校の時ほどではなかったけれど、私はまた競馬仲間を求めて学校に顔を出す機会が増えた。

実際にリアルタイムで応援した馬ではないけれど、私の中で忘れられない馬はタイキシャトルだ。どんな名馬が現れても、見たこともないタイキシャトルを、私は忘れられないだろう。

タイキシャトルは「新しいことに挑戦すること」を教えてくれる。

 

今では地元から遠く離れた東京で、あのころは想像もしなかった仕事をしている。

何かに挑戦するとき、いつもあのタイキシャトルのテレホンカードが瞼に写る。

そして私は迷わずに、チャレンジすることができるのだ。

 

 

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文・小川春佳

写真・かず