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[平成名勝負]馬の苦悩を解放させる、横山典弘の仕事~2001年安田記念・ブラックホーク~

 

父ヌレイエフはアメリカのノーザンダンサー系を代表する世界的な名血であり、母はグラスワンダーと同じロベルト系シルバーホークを父に持つシルバーレーン。

良血マル外のブラックホークは確かな血統背景から周囲の期待を受けて日本でデビューした。3歳(当時4歳)1月に岡部幸雄騎手を背にデビュー。時期こそ遅れたものの、芝のマイルから2000m前後を中心に使われ、順調に勝ちを重ね、4歳春にオープン入り。直後にGⅢダービー卿チャレンジトロフィーを勝ち、タイトルを獲得。春のマイル王決定戦安田記念は11着と大敗。1年以上の休養に入る。5歳夏に復帰後も以前のような崩れない走りを披露、秋のスワンSを蛯名正義騎手で快勝。迎えたマイルチャンピオンシップは2番人気、エアジハードに蛯名騎手が騎乗するため、武豊騎手とのコンビで迎えた。

ここでもブラックホークは持ち前のスピードを披露、先行集団から一旦抜け出しながら、エアジハードに屈し、キングヘイローの末脚に捕らえられ、3着に敗れた。

崩れずに安定したスピードを披露できる反面、ゴール前でジリ脚になってしまうという弱みを内包していたブラックホーク。

 

陣営は横山典弘騎手の進言により、スプリント路線への転換を決定。暮れに行われた最後のスプリンターズSを横山典弘騎手で快勝。距離短縮によって弱点を克服、ゴールまでしっかり伸びてアグネスワールドを捕らえた。

 

 

ブラックホークの苦悩は実はここから始まる。

マイル戦で大きく負け、スプリント戦では僅差で勝てないというレースを繰り返すようになってしまったのだ。ゴール前でジリっぽくなるのは距離が問題ではなかった。どうやらブラックホークは抜け出して気を抜く癖があったようだ。

高松宮記念ではキングヘイロー、セントウルSではビハインドザマスク、CBC賞ではトロットスター。自分より後ろから伸びてくる馬に差され続けた。勝てるだけの力はいつも見せてくれるのに、勝てない。スプリント路線転向後から乗り続けた横山典弘騎手の苦悩が続く。

 

 

 

2001年、7歳春の安田記念。上位人気に支持されながら負け続けたブラックホークは前哨戦の京王杯スプリングCでスティンガー、スカイアンドリュウに負けて3着だったこともあり、当日は9番人気だった。1400m以下でも勝てないブラックホークが安田記念を勝てるはずがない。周囲の評価は横山典弘騎手にも届いていたのだろうか。

センスよく好スタートを切ったブラックホークだが、横山典弘騎手は馬を抑えて下げた。道中は後方10番手前後を進む。レースはヤマカツスズランが逃げ、ブレイクタイムが番手でマークする形で流れ、前半800mは45秒8のハイペース。ブラックホークは外枠からスタートしたこともあり、後方の外を進む。

ヤマカツスズラン、ブレイクタイムにダイワカーリアンも絡んでハイペースのまま最後の直線を迎える。このハイペースでも抜け出してきたブレイクタイム。ブラックホークは4角でさらに順位を下げながら大外を回り、直線でも横山典弘騎手も馬場の大外へブラックホークを持ち出す。

 

マイルでは伸びきれないはずのブラックホークが大外を伸びる。先に抜け出すブレイクタイムとは馬体を離し、ゴール寸前で計ったようにブラックホークが差し切った。

 

 

抜け出すと気を抜く癖を補い、マイルでも最後まで伸びるように、横山典弘騎手の大胆な待機策は全てブラックホークが勝つために考え抜かれた作戦だった。そして、それを安田記念で実行、一発で結果を出した。

 

何かが足りず、何か欠点があって勝てない馬を勝たせる技術こそ、騎手の真骨頂であり、それができるのが横山典弘騎手という男だ。

ブラックホークの安田記念、ゴール後に喜びを爆発させた横山典弘騎手の姿にそれまでの苦悩と、それを自ら打開し解放させた、役目を果たした男の歓喜がみえる。

※馬齢は現在の表記にて統一して掲載しております。

文・勝木淳

写真・かず

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