· 

「1人と1頭」のヒシアマゾン〜ウマ娘から競馬にハマった私と、彼女の訃報〜

褐色で紺髪ロングの美少女──私がヒシアマゾンを初めて見た時の印象です。

 

こんなにかわいい女の子は今まで見たことない!

ずっとこの子を応援したい!

 

と、その時心に誓いました。

 

 

往年の競馬ファンには何を言っているんだと思われるかもしれませんが、私は「1人と1頭」のヒシアマゾンが大好きです。

今回は1頭の競走馬、1人のウマ娘、1人の競馬オタクについてご紹介させてください。

 

 

■ウマ娘のヒシアマゾンと私の出会い

 

元々の私の競馬ライフは、平凡なものでした。

ただただ競馬場に行き、写真を撮ったり馬券を買ったり……といった感じです。

 

特に競馬を始めてすぐの頃は私にとって競馬はただのギャンブルでしかありませんでした。

競走馬に対しても、馬券が当たるか当たらないかを決める……まるでサイコロを見るような感覚で捉えていたと思います。

そのような感覚を変えてくれて、さらには私の人生を豊かにしてくれたのが、ウマ娘「ヒシアマゾン」との出会いでした。 

 

それをきっかけに、今ではTwitterを通じて引退馬支援活動をするまでのファンとなったのです。

 

 

「ウマ娘」とは歴代の名馬の魂を受け継ぐ可愛い女の子が登場するコンテンツで、スペシャルウィーク・サイレンススズカ・トウカイテイオーをはじめ多くの名馬をモチーフにしたキャラクターたちがいます。2018年に放送されたTVアニメから知った方も多いかもしれません。

多くのウマ娘がトレセン学園で練習に励み、日本一のウマ娘を目指しています。

 

私がウマ娘のヒシアマゾンに出会ったのは、2017年の夏。

当時はウマ娘の知名度は殆ど0に近い状況で、私も昨今流行している「擬人化」企画のひとつが増えたくらいにしか思っていませんでした。

……しかし、そんなことを思っていても可愛いものには弱い私。

褐色でネイビーブルーの長い髪をした「ウマ娘のヒシアマゾン」に一目惚れをしてしまいました。

そして、ウマ娘としてのヒシアマゾンを調べているうちに、モデルとなったヒシアマゾンにも興味がわいたのです。

 

 

■競走馬のヒシアマゾンと私の出会い

 

初めに競走馬のヒシアマゾンについて調べたことは、競走成績についてです。

ヒシアマゾンは阪神JF、エリザベス女王杯のG1を2勝。更に4歳時(現3歳時)にエリザベス女王杯を含む重賞6連勝をしています。

この成績を初めて見たときに「すごいな」という感情と共に、ある疑問が湧きました。

 

──なぜ、牝馬3冠を走らなかったのか?

 

ヒシアマゾンほどの成績の馬なら、牝馬3冠も夢ではなかったのではないか。そう思った私は当時のルールについて調べてみました。

そして、1994年当時にはヒシアマゾンのような外国産馬が、クラシック競走(皐月賞、ダービー、菊花賞、桜花賞、オークス)に出走することができなかった事を知ります。

これを知った時の私は少しショックを受けると共に、外国産馬の宿命に真っ向から立ち向かったヒシアマゾンをとてもかっこいいと思いました。

 

 

更にヒシアマゾンといえば、ナリタブライアンとの名勝負も有名です。

ナリタブライアンは1994年に三冠馬となった名馬。その三冠馬ナリタブライアンとヒシアマゾンは、有馬記念で初対戦となりました。

ヒシアマゾンの有馬記念での人気は6番人気。

直近でエリザベス女王杯を制したヒシアマゾンですが、当時の牝馬の評価は低く、ここではよくて3着以内という評価だったそうです。

 

しかしヒシアマゾンの主戦騎手を務めていた中館騎手の「相手はナリタブライアン1頭だけだと思っていた」という有名な台詞の通り、レースではヒシアマゾンの能力を信じた大胆なレース運びをし、中山競馬場のファンを湧かせました。

レースは大逃げのスペシャリスト、ツインターボが超ハイペースで引っ張る形に。

これに影響されナリタブライアンが普段より前で競馬することになりました。そのおかげでヒシアマゾンはナリタブライアンをマークする形でのレース運びをします。

そして中館騎手は相棒の能力を信じ、3コーナーあたりからヒシアマゾンを前へ前へと推し進める強気の競馬を展開。4コーナーで、ナリタブライアンと並びます。

 

──結果は分かっていても、ヒシアマゾンが勝ってしまうんじゃないかと思ってしまうほどの手ごたえです。

しかしやはりそこは三冠馬、直線で一気にヒシアマゾンを突き放します。これで、完全に勝負は決してしまいました。しかし私は、ここでヒシアマゾンが見せた最後の猛追は今でも忘れられません。

3コーナーから押していたヒシアマゾンですから、直線でスタミナが切れてズルズル後退してもおかしくはありません。しかし彼女は後退するどころか、更にナリタブライアンに食らいつきます。

このヒシアマゾンの最後まであきらめずに、世代最強牡馬に喰らい付く姿が、私の心を揺さぶりました。

 

 

■ヒシアマゾンと競馬に対する気持ちの変化

 

競走馬のヒシアマゾンについて調べれば調べるほど、ウマ娘のヒシアマゾンに対する気持ち、そしてウマ娘というコンテンツに対する気持ちも変わってきました。

そうすると、ヒシアマゾンというウマ娘に、一人で想像を膨らませることも多くなっていきました。

ウマ娘のヒシアマゾンの口癖は「タイマンだー!」なのですが、何故タイマン勝負が口癖なのか自分なりに考えてみることがあります。

ナリタブライアンとの勝負ももちろんですが、エリザベス女王杯でのチョウカイキャロルと馬体を併せた勝負もモデルになっているのかな……といった想像。

さらにヒシアマゾンはアニメや漫画の中で、自分の気持ちに素直で一直線なキャラで、それを達成するために全速力で突き進みます。

これはクリスタルカップで見せた驚異の末脚のようにヒシアマゾンが後方から猛然と追い込んでくる姿がモデルになっているのかな……といった想像。

どれも非常に楽しい想像です。

 

 

ヒシアマゾンについて様々なことを調べた後に、他のウマ娘についても調べてみました。

サイレンススズカの旋回癖、オグリキャップの大食いの逸話、トウカイテイオーとシンボリルドルフの親子関係(ウマ娘では先輩・後輩関係)、ウオッカとダイワスカーレットのライバル関係。

最初は単なる「擬人化コンテンツ」だと思っていた私も、登場キャラについて調べれば調べるほど、ウマ娘を制作された皆さんの競馬愛がキャラを通じて伝わってきました。

 

この頃には、私の競馬に対する気持ちは変わっていました。

ウマ娘のおかげで競走馬のバックグラウンドに興味を持った私は、実際にウマ娘のモデルになった馬たちに会いたいなと思うように。

私もヒシアマゾンに負けず一直線な性格で、好きになったことはとことん知りたくなるタイプです。

ウマ娘を知った半年後には、北海道の生産牧場で働き始めました。

そのおかげで、北海道で第二の馬生を送っている名馬に沢山会うことができました。

 

 

(写真はゴールドシップ/アグネスデジタル/グラスワンダー/ウイニングチケット/マヤノトップガン)

 

引退した競走馬に会う頻度が増えるにつれ、最初は馬券の当たりはずれを決めるサイコロ程度にしか思っていなかった馬たちのバックグラウンドを知っていき、そして1頭1頭の馬にドラマがあることを知りました。

それはとても、大きな変化でした。

 

 

■古馬になったヒシアマゾン

 

古馬になったヒシアマゾンは、重賞路線で活躍します。

 

高松宮記念で5着と負けてしまいますが、産経オールカマー、京都大賞典と重賞を連勝。

そしてその勢いで迎えたジャパンカップ……1番人気は、前年の有馬で戦ったナリタブライアン。ヒシアマゾンは2番人気でした。

レースではまたもやナリタブライアンとヒシアマゾンの一騎打ち……と思いきや、海外から参戦したランドが1着。

ナリタブライアンは、まさかの6着。

ヒシアマゾンはランドから1馬身離れた2着でした。

しかしこの2着は、当時の牝馬として驚異の着順だと思います。

その頃は、まだまだ牝馬と牡馬の間には大きな壁があった時代です。近年はアーモンドアイなど、多くの牝馬が牡馬相手に名勝負を演じています。ですが、そうした時代にヒシアマゾンが、ナリタブライアンをはじめとした名だたる牡馬を抑えて2着に入線したことは、当時の競馬ファンに大きな衝撃を与えたそうです。

しかしジャパンカップで激走の影響もあってかヒシアマゾンは翌年G1を3走したものの、降着などもあり一度も掲示板にも乗ることができず引退となります。

有終の美を飾ることはできなかったヒシアマゾンですが、彼女の競走成績は当時の牝馬としては驚異的なもので、私の中では彼女が歴代最強の牝馬です

 

 

■ヒシアマゾンの訃報を知る

 

歴代の名馬に会うにつれ、本物のヒシアマゾンに会いたいという気持ちが生まれました。

ただ1992年産まれのヒシアマゾンですから、かなりの高齢です。果たして存命なのか調べてみると……なんと、アメリカで元気に暮らしていること知りました。

 

これは、行くしかない!

 

そう思いケンタッキー州にお住まいの方に相談をし、コツコツ貯めた航空会社のマイルを使い、6月にケンタッキー州に行くことを決心しました。

そう決めたのが、2019年の4月3日。

きっかけは、ウオッカの訃報でした。

 

ヒシアマゾンの年齢を知っていた私は、できるだけ早くいかなければと思っていました。

そして、4月15日にはマイルを使ってチケットを発行。

6万マイル──私が2年半かけて貯めたマイルです。

奇遇にも、ちょうどヒシアマゾンを好きになって日と同じぐらいのころから貯め始めたものでした。

 

そしてチケットを取った2日後に大好きな彼女の訃報をTwitterで知ることになりました。

意外なことに、初めてそのツイートを見た時の私には悲しいという感情はありませんでした。

ああ、チケットを取っていた時にはもう亡くなってしまったんだな……と。

それは、自分でも驚くほどあっさりとした感情でした。

 

そして航空券をキャンセルし、手数料を払い、マイルを返還してもらう手続きを踏み、その後にウマフリさんに相談してヒシアマゾンについて記事を書きたいとお願いしました。

 

競走馬としてのヒシアマゾンを知って頂きたいのはもちろんですが、私の人生を豊かにしてくれたウマ娘としてのヒシアマゾンも知っていただきたかったからです。

 

すると、記事を書けば書くにつれ、ほんとに亡くなってしまったんだなと感情がわいてしまい、なかなか筆が進みませんでした。

 

……もっと早くアメリカに行っておけばよかった、なんでいかなかったのかと自分をとても責めました。

しかし亡くなった事実はどう自分を責めても変わることはありません。

この記事を書き切ることがヒシアマゾンへ今の私ができる最大限のお返しになるのかなと思い、記事を書かせていただきました。

 

 

 

■ヒシアマゾンの血は絶えない

 

私が大好きなヒシアマゾンは亡くなってしまいましたが、その血は途絶えることはありません。

ヒシアマゾンの子供たちが、お母さんとして頑張っているのです。そして孫たちが、競走馬として頑張っています。

皐月賞の日に、ヒシアマゾンの孫にあたるデュアルマンデートを応援しに行きました。

ヒシアマゾンは黒鹿毛でデュアルマンデートは青鹿毛。多少毛の色の違いこそあるものの、パドックでの姿や、走る姿はヒシアマゾンを彷彿とさせるものがありました。

 

ヒシアマゾンの血を引く競走馬たちが競馬場を走る限り、それぞれの中ヒシアマゾンは生き続けていくのではないかなと私は思います。

 

 

 

■最後に

 

96年生まれの私は、ヒシアマゾンより年下です。

そんな私にとってヒシアマゾンは憧れの先輩のような存在です。

 

その先輩に少しでも近づけるように、引退馬を支援するようになりました。

ウマ娘の中でのヒシアマゾンは面倒見がよく、後輩の願いをかなえるために多少強引ながら悩みを解決してあげています。

私もヒシアマゾンのようになりたいと思い──引退した競走馬がゆっくり余生を過ごせるお手伝いを始めたのです。

 

まだまだ大きなことはできていませんが、コツコツと積み重ねていつかは多くの引退馬たちが余生をのんびり過ごせるような環境を作れるように、日々研鑽を重ねています。

 

アニメに影響されてこんなことを始めるなんて……と、おかしく思われるかもしれませんが、今の私にとって多くの馬の面倒を見ることがウマ娘のモデルとして私に競馬の楽しさ、面白さを教えてくれたヒシアマゾンへの恩返しになると思っています。

 

 

ヒシアマゾン、28年間お疲れさまでした。

 

ウマ娘としてのヒシアマゾン、競走馬としてのヒシアマゾンのおかげでとても楽しくて濃い人生を送れそうです。

 

どうか、天国でナリタブライアンとのタイマン勝負を、楽しんでください。

 

文・スオミアッキ(@Asena0330)

写真・スオミアッキ、かず

イラスト&ロゴ提供・株式会社Cygames様

■関連記事