
天気が良い日の午後だった。


僕は川崎競馬場に入場してからしばらくのあいだ、パドックでぼんやりしていた。
気候が良かったからだと思う。のんびりしていられる、丁度よい気候だった。


レース写真を撮影しながら、スマートフォンの電池が残り少なくなってきている事に気がつく。


のんびり歩きながらパドック側に回ると、空が少しずつ暗くなってきていた。
照明も灯り、いよいよナイターの時間帯が近づいてきたと感じさせる。
──ああ、すごく、良い。
時間の移り変わりが感じられるのがナイター開催の素敵なところだと思う。
歩いていると、引退馬協会のボランティアをされている人たちがいた。
色々お話を伺いながら、競馬との関わり方というのは多種多様だなと改めて感じる。
タイキシャトルは特に好きな馬だから、さらに感じ入るところがあったのかもしれない。
グッズの写真を撮って、微力ながらTwitterで紹介をした。

そしていよいよ「あれ」を食べる時間である。
そう、モツ煮込みだ。


競馬場に来ると、どうしてこんなにもモツ煮込みが食べたくなるのだろう。
普段は日本酒派な自分も、思わずビールか酎ハイを注文してしまう。
そしてゆっくりと箸を動かしながら、その塩味と共に、改めて幸せを噛み締めるのだ。
僕は、競馬も好きだし、競馬場という空間も好きだ。
ネットが盛んになった今でも、競馬場に足を運んで、馬を見て、場内のものを食べて、声を出して応援してしまう。
そのことが、たまらなく僕の気持ちを満たしてくれるからだ。
この日は、地方の雄・ハッピースプリントの全妹が勝利をあげていた。
ハッピースプリントも非常に魅力的な馬だったと思う。
ホッコータルマエやコパノリッキーと同時期にして、ダート戦線を大いに盛り上げてくれた1頭だった。
全日本2歳優駿で彼がG1級競走を初勝利した際も、川崎競馬場で応援していた。
あの時もきっとモツ煮込みを食べていたはずだ。
思い出にひたりながら外に出ると、空が藍色に染まってきていた。


この時間帯くらいから、中央では味わえない独特な雰囲気が場内に広がりだす。
真っ暗のなか行われるメイン競走とはまた違った、心地良い雰囲気だ。
メイン競走にむけて人が集まりだすのもこのくらいの時間からだ。
人の声が、ざわざわと増え始める。好レースを期待してなのか、馬券の結果を期待してなのか、どの声も明るく高揚しているように聞こえる。
スマートフォンの電池も残り少ないのに、気にせず写真を撮り、馬の事を調べていた。
「あ、いよいよ切れるな」と思って最後にパドックの写真を撮影した。

僕は新聞も買わず、レーシングプログラムももらわず……という状態だったので、ネットで調べる事も出来なくなり、気が付けばどの馬がどの馬だかよくわからなくなってきていた。
確か10Rは南関移籍後勝ちまくっている馬が出ていたはずだけれど……名前が記憶とあっているかも自信がない。基本的に自分の記憶を信用していないので、普段ならすぐに調べるのだが、それも出来ない。
オッズと名前と馬体で、たぶんこの馬だったな……などとアタリをつける。ただ、記念に写真を撮ろうにも、カメラもない。
ふと気が抜けて、ビールを買いにスタンドへ戻った。
本場馬入場の時には、もうどの馬が有力なのかをオッズから想像することも諦めていた。
なんだか久々に、肩の力を抜いて馬が入場してくるのを眺められていたように思う。
考えてみれば僕は、競馬場に来るのが楽しいと言いつつも、その実は小難しい顔をしてスマートフォンで調べ物をしていただけなのかもしれない。ちゃんと全部の馬を肌で感じられていただろうか?
……いや、勿論その楽しみ方にも満足しているし、これからも続けていこうとは思っている。
しかし、ここまでしっかり出走馬全体を眺めていたのは結構久しぶりな気がしたのだ。
それが僕にはかえって新鮮で、とても楽しかった。
血統が大好きだし、ルーツも気になるし、データも気になる。
でも元々はやっぱり、何よりも「馬が大好き」だったということに改めて気が付かされる。
こうやって両手にお酒(その時、酎ハイをアテにビールを飲んでいた)を持ちながら、馬が目の前を走っていくのを眺める事で得られる充足感は、液晶画面からは得られないものだなと感じた。
関東オークスのパドックは、あえて見に行かなかった。
さすがに馬番が頭に入ってしまうと思ったからだ。このまま、こうして応援を続けていたい。
そうして入ってきた馬たちは、毛色や勝負服こそ違えど、中央も地方もなく、どの馬も美しかった。
「どの馬も無事で」はいつもレースが始まる前に心の中で唱える言葉だが、それをいつも以上に強く感じた。
単勝1.8倍の馬も単勝710.4倍の馬も、等しくゲートに入り、そしてスタートを切った。
13頭の牝馬が、僕の前を通り過ぎていく。
美しい光景だと思った。どの馬も、どの鞍上も真剣だった。
周りの歓声がさらに気持ちを引き締める。
結果は、地方勢が2~4着を占めたものの、1着は中央からきていた中で最低人気だったハービンマオが勝利。
地方馬の関東オークス制覇とはならなかった。
でも僕はレースが終わったとき、しっかりと走り切った13頭全てに拍手を送っていた。
改めて、競馬が好きでよかったと思う夜であった。
文と写真・オガタKSN