記録は破るためにある──しかしこの記録は、誰にも破りようがないのではないか。
武豊騎手が2005年に打ち立てた、JRA年間最多勝利数……

『212勝』は、そういう数字だった。
年間200勝を上げること。
それは、決して簡単なことではない。

かつて、2003年・2004年・2005年と3年連続で200勝超えが達成されたこともあったが、そのすべては、競馬界を牽引する武豊騎手によるもの。
武豊騎手以外に200勝を達成した者はおらず、その高き壁はJRAジョッキーたちの前に長らく立ちはだかってきた。

ここ10年ほどは、1位が140勝前後という結果になることが多かった騎手リーディング。

2016年は戸崎圭太騎手とクリストフ・ルメール騎手が激しいリーディング争いを繰り広げ、それぞれ187勝、186勝という数字を叩き出したが、それでも200勝には届かず。

翌年の2017年にはやはりクリストフ・ルメール騎手が199勝と王手をかけたが、あと1勝というところで、200勝の壁を越えることは出来なかった。

武豊騎手の年間200勝という記録は、孤高の存在としていつまでも君臨し続ける──誰も破ることの出来ない──伝説的な、数字。

それが、JRA年間最多勝利数『212勝』という数字だった。
今後、決して破られる事はないのでは?と感じられた。

しかし、その時は来た。
2018年、JRA最終開催日。

212勝という偉大なる記録が、ついに塗り替えられた。

その大仕事を成し遂げたのは──クリストフ・ルメール騎手だった。
2018年、ルメール騎手が新たに築いた年間勝利数記録は215勝。

2005年の武豊騎手の212勝を3勝上回っていた。

フランス人であるルメール騎手は、1999年に母国フランスにて騎手免許を取得。
2002年より短期免許にて幾度となく来日し、日本でもその存在は馴染みのあるものとなった。
2003年にはフランスのGⅠパリ大賞典を制するなど、世界で活躍する名ジョッキーとなったルメール騎手。

そんなルメール騎手が主戦場として選んだのは、日本だった。

2015年に日本での通年免許を取得すると、そこからルメール騎手のさらなる活躍が始まった。
初年度から100勝を超える112勝を上げると、2016年は186勝と勝ち星を大きく伸ばす。
そして、翌年の2017年には199勝でJRAのリーディングジョッキーに輝いた。

しかし、年間200勝にはあと1勝届かず。

前述のように、200勝という壁の高さを、武豊騎手の凄さを、改めて痛感する結果となった。

そして迎えた、2018年。
1月20日。
京都で行われた新馬戦にてエイカイキングに騎乗し、2018年の初勝利を上げる。
直線に入り先頭に立つとしぶとく脚を使い、そのまま1着で颯爽とゴール板を駆け抜けた。

クリストフ・ルメール騎手、2018年の快進撃は、ここからはじまる。

重賞1勝目となったのは、フェイムゲームと共に臨んだダイヤモンドステークス。
1番人気に支持され、その期待に応える走りで優勝を果たした。
3400mの長丁場、その最後に待ち受けるのは、東京競馬場の長い長い直線だ。

ラスト200mを過ぎて、フェイムゲームとルメール騎手が外から鋭く抜け出す様は、実に堂々たるもの。
この勝利で、フェイムゲームは3年ぶり3度目のダイヤモンドステークス制覇を達成した。
そんな8歳の大ベテラン・フェイムゲームとの嬉しい勝利もあれば、クラシックを沸かせた若駒との思い出もある。

ワグネリアンと福永祐一騎手が日本ダービーを制した、2018年の牡馬クラシック戦線。
ルメール騎手は、春のクラシック2戦をステルヴィオとのコンビで挑んだ。

結果は皐月賞4着、日本ダービー8着。

優勝こそ逃したものの、皐月賞では2番人気に推されるなど、間違いなくクラシック戦線を賑わせたコンビだった。
特に皐月賞の前哨戦、スプリングステークスでは、後の皐月賞馬エポカドーロをハナ差下しての僅差の勝利。

ルメール騎手は勝利ジョッキーインタビューで「負けたと思いました」と笑みを浮かべた。
あの際どい勝負を勝ち切れるのも、ルメール騎手であれば何故か納得してしまう。
そして、2018年で忘れてはならないのが、あの天才少女の存在だ。

三冠牝馬・アーモンドアイ。

桜花賞の晴れ舞台にて、アーモンドアイの鞍上にいたのはルメール騎手だった。
2歳女王ラッキーライラックが1.8倍の圧倒的1番人気となった桜花賞。そのラッキーライラックは完璧と思える素晴らしい競馬をしていた。

しかし、それを上回る豪脚でラッキーライラックを捕らえ、新女王に輝いたのがアーモンドアイだった。
しかも、1分33秒1のレースレコード。
そんなアーモンドアイの末脚には「アンビリーバブル!」と、さすがのルメール騎手も驚いたようだった。これでルメール騎手は、JRAの牝馬限定戦G1、全6レースを完全制覇。

武豊騎手、蛯名正義騎手に続く記録達成となった。
さらにオークス前日の5月19日には、京都5レース・3歳未勝利戦をウインルチルとのコンビで見事勝利し、JRA通算800勝を達成。
インタビューでは関係者やファンへの感謝の言葉を第一に述べたルメール騎手。そして、この日ならではのコメントも飛び出した。

「明日は大きなレースがあります。アーモンドアイで勝ちたいですね。誕生日のプレゼントになるといいです」

ルメール騎手はこの言葉通り、翌日、アーモンドアイと共にオークスを優勝してみせた。
有言実行とはまさにこのことだろう。

アーモンドアイは、スプリント王者であるロードカナロアの初年度産駒。
オークスの2400mという距離を不安視する声もあったが、それは全くの杞憂で終わった。
2着リリーノーブルを2馬身離しての完勝で、ルメール騎手39歳の誕生日は、自身の手で演出した最高のプレゼントで締め括られた。

さらに翌月の安田記念では、モズアスコットをG1初制覇へと導いた。
驚いたのは、前走の安土城ステークス2着(坂井瑠星騎手騎乗)から、連闘で掴み取った勝利だということ。連闘ということもあり、9番人気という評価をされていたモズアスコット。

しかし陣営側としては、状態が万全だと判断したからこその出走だったのだろう。
ルメール騎手の好騎乗もあり、初重賞制覇がG1安田記念という、嬉しい結果となった。

そしてルメール騎手は、800勝の余韻に浸る間もなく、秋にはJRA通算900勝を達成する。
その舞台は府中牝馬ステークス。
ディアドラとのコンビで、区切りの勝利を見事重賞勝利で飾った。

「5月に800勝を達成したばかりだというのに」
「このままのペースで勝ち続ければ、リーディングはもちろん、武豊騎手の年間212勝を超えるかもしれない」

そんな予感を抱いた人も少なくなかったのではないだろうか。
そしてその予感は徐々に色濃く、はっきりと感じ取れるようになる。
予感を強めさせられた理由のひとつに、G1・Jpn1の4連勝が挙げられるだろう。
4連勝の幕開けは、秋華賞だった。

これまで二冠を共に歩んできたアーモンドアイは断然人気を集め、単勝オッズは1.3倍。
もちろん、アーモンドアイの三冠をなんとしてでも阻止したいライバルたちも黙ってはいない──はずだった。
しかし、アーモンドアイが最後の直線で大外を回り、驚異の瞬発力を見せたその時。否が応でも、思い知らされる。

次元が違うというのは、こういうことなのか、と。
軽やかに、伸びやかに。

「ファンタスティック・ホース」とルメール騎手が称えるアーモンドアイ。

平成最後の三冠馬には、潤んだ瞳の印象的な天才少女がその名を刻んだ。
その鞍上としてルメール騎手の名もまた、語り継がれることだろう。

その翌週に行われた菊花賞では、初コンビとなるフィエールマンに騎乗。
デビューから4戦目という史上最年少キャリアでの菊花賞制覇を果たした。
エタリオウとの追い比べは、何度見ても息を呑む。

しかし何度見ても、フィエールマンがきっちりと競り勝つ。
当たり前なのだがその度に、2018年のルメール騎手には競馬の神様が味方についていたに違いない、と思ってしまう。

それほどまでに美しい勝利の瞬間だった。

次に、ダンビュライトが除外となり、12頭という少頭数で行われた天皇賞・秋が続く。
見どころのひとつとして、皐月賞馬アルアイン、ダービー馬レイデオロ、菊花賞馬キセキと、前年のクラシックを勝利した3頭が集ったことも話題となった。
それ以外にも好メンバーの揃ったこのレース。

ルメール騎手はレイデオロに跨り、見事、勝利を収めた。
インタビューでは、コンディションも、レースも完璧だったというコメントを残しているルメール騎手。
万全の仕上げをした陣営への感謝を忘れないのも、ルメール騎手らしさと言えるだろう。

4週連続G1・Jpn1制覇の最後は、はじめてJRA競馬場での開催とったJBCのなかの、JBCスプリントだ。
ルメール騎手が騎乗したのは、8歳馬のグレイスフルリープ。逃げる1番人気マテラスカイとの最後の叩き合いは、やはり手に汗握るものだった。

グレイスフルリープは8歳にして初のJpn1制覇。
勝利インタビューには、グレイスフルリープへの労いの言葉もあった。

この勝利でのJRAのG1・Jpn1年間7勝という記録達成は、馬や陣営の頑張りがあったからこそ──ルメール騎手は、そうした事を改めて感じさせる一言を、インタビューに織り交ぜる。誰よりも彼自身が、その事を強く感じているからこそなのだろう。 

2018年・ルメール騎手の極めつけは、ジャパンカップでの衝撃だ。
3歳牝馬三冠を成し遂げたアーモンドアイ。

そんな天才少女だが、中には古馬との初対戦を不安に思っていたファンもいたことだろう。
相手はスワーヴリチャード、サトノダイヤモンド、キセキ、シュヴァルグランといった日本の競馬界を牽引している馬たちばかりなのだから、不安になるのも頷ける。

更に外国馬2頭も加わったものの、それでもアーモンドアイが単勝オッズ1.4倍という圧倒的な支持を集めた。

そして、日本を──世界を圧倒した。
レース直後、思わず走破時計を二度見する。
2分20秒6。

従来のコースレコードより1.5秒もはやいタイムだった。
2400mのレースとは思えないほどのタイムで、有無を言わさぬ強さを見せつけたアーモンドアイ。

ルメール騎手が凱旋門へ行かなければならないと思うほどの強さ。
アーモンドアイが、日本最強馬の称号を得た瞬間だった。
その圧倒的な強さは2018年を象徴するものとなり、ルメール騎手の活躍もまた、共に讃えられた。

暮れの大一番、有馬記念では、レイデオロに騎乗し2着となる。
勝ったのは、池添謙一騎手騎乗の3歳馬ブラストワンピース。
2018年の3歳馬は、本当に強かった。
ルメール騎手をはじめ多くの競馬関係者にとって、3歳馬に泣いて笑った1年だったことだろう。

そして迎えた、12月28日。
2018年の中央競馬最終日。
レースがはじまる前の時点で、ルメール騎手のJRA年間勝利数は211勝だった。

ここまでの勝ち星を積み上げられたのは、G1などの大レースのみならず、日頃の1鞍1鞍を大切に騎乗してきたからこそ、なのだろう。
最後まで普段通りの騎乗をしていれば、武豊騎手の大記録を越えても何らおかしくはなかった。

この日の騎乗は8鞍。
偉大なる記録と並ぶまで、あと1勝。
2勝して、記録更新出来るか、否か。

ルメール騎手の勢いであれば「出来る」と思われたが、前年のようにあと1勝が届かないということも起こり得る。

競馬に絶対は、ない。
中山4レース、2歳未勝利戦。

ルメール騎手は、1番人気シュバルツバルトに騎乗した。
道中、中団に位置していたシュバルツバルトは、3コーナー手前から徐々に進出を開始。
ゴール前200mの時点では前をいく2頭が有利かとも思えたが、その後の伸び脚が抜群だった。
余裕を持ってのゴールで、2着の馬を1.1/2馬身、差し切った。

そつなく勝利を掴み、あっという間に212勝を達成。
これで、武豊騎手の持つJRA年間最多勝利数に、ついに並んだ。

続く中山5レース、2歳新馬戦。
2番人気エンシュラウドに騎乗し、ここで決めるかに思われた。
が、ここはクビ差の2着に敗れる。
後ろからやって来たハービンジャー産駒、ジュピターズライトに差されるという結果だった。
ジュピターズライトに騎乗していたのは丸山元気騎手。

日本人騎手だって、指をくわえて新記録達成を静観しているわけではない。
1レース1レースが、正真正銘、魂をかけた戦いなのだ。

さらに、中山6レースはダート1200mの2歳新馬戦。ルメール騎手は、1番人気のマイヨブランに騎乗した。
マイヨブランは、関東オークスを制するなどしたユキチャンの産駒。毛色は母譲りで、目を見張るほどに真っ白な白毛馬だった。

好スタートから先行すると、最後の直線に向くとじわじわと脚を使う。
ラストは迫る後続を振り切って、ゴール。
ルメール騎手は白毛馬マイヨブランで、輝かしい新記録達成の勝利を決めた。

そう、とうとう、この時がやって来た。
ルメール騎手が、武豊騎手の212勝を超える、記念すべき213勝目を上げたのだ。
ウィナーズサークルでは、新記録を打ち立てたルメール騎手へのインタビューが行われた。
その中でルメール騎手は、自身の記録について語る前に、武豊騎手の4000勝達成について触れる。

そして、JRA通算4000勝を達成した武豊騎手をレジェンドだと述べた上で
「僕は普通」
と言って笑った。

ルメール騎手は、2018年はG1を7勝。
京都で開催されたJBCスプリントを含むと重賞はなんと20勝している。
そんな騎手が「普通」だとは、誰も思わない。
しかし、ルメール騎手は、恐らく自分のことを本当に「普通」だと思っているのだろう。

それは、目の前の1鞍1鞍ときちんと向き合ってきたルメール騎手の「普通」なのである。
母国を離れた日本という地でたゆまぬ努力を重ねた結果、それが「普通」になった。
そして、「僕は普通」と告げたその次の瞬間、「まだ」と付け足した。

まだ、普通。

だからこそ。
ルメール騎手は自身の「普通」を続けていくことで、これからも様々な記録を塗り替えていくことだろう。

2016年には1日8勝、騎乗機会10連続連対という新記録を樹立。
2017年には同一年でのオークス、ダービー制覇。
そして2018年は年間G1最多勝を更新。
更に、新たな年間最多勝利数の215勝を上げた。

今後これらの記録に並ぶのは、破るのは、いつ、誰の手によるものなのだろうか。
挑戦し続ける騎手たちの最前線で、ルメール騎手は戦い続けていく。
輝かしい記録は、到達点ではない。
ここで終わりにするためではない。

その重みを一番理解しているのは、おそらくルメール騎手自身だろう。
記録は、破るためにある。
進化していくクリストフ・ルメール騎手、その次の一歩を楽しみにしたい。

写真:かぼす、ゆーすけ

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