競馬ファンの方々にとって「ラフィアン」といえば、どんなイメージが浮かぶでしょうか?

マイネル・マイネの冠名。
岡田総帥。
2歳戦に強い!

……と言ったところでしょうか。
実は近年ラフィアンでは、繁殖牝馬になる事を意識してか、冠名を使っていません。
マイネという冠名のイメージによって、産駒の価値が変わらないようにするためでしょう。

まだまだ認知は低いかもしれませんが、ラフィアンの牝馬なのに(?)結構かっこいい名前がついていたりします(笑)

「マイネル」の馬で多くのファンが連想するのは、マイネルキッツ、マイネルラブ、マイネルブリッジ、マイネルマックスあたりでしょうか。個人的には、マイネルジェイソンが一番に思い出されます。

──それでは「マイネ」がつく馬で、最初に思いつくのは?

マイネサマンサ、マイネソーサリス、マイネルーチェ、マイネレーツェル……思いを巡らせれば巡らせるほど、様々な馬が浮かんできます。

でも実は「マイネ」で一番稼いだのはマイネイサベルなのです。

私は「100分の1」ですが、一口馬主としてマイネイサベルに出資していました。

私は普段子どもたちに社会科を教える仕事をしている、社会人競馬ファンです。

もともと馬券よりは馬や騎手が好きで、競馬にのめりこみました。そのため一定の収入を得るようになると、出資することで競走馬を持てる一口馬主に興味がわきました。

先述したマイネルジェイソンが好きだったことや、岡田総帥に興味があったこと、競馬雑誌の募集ページで好きだったトラベラーの仔が募集されていたことなどから、2008年ごろにラフィアンターフマンクラブに入会します。そさて一口馬主となってからは、出資した愛馬の活躍に一喜一憂するのが私の楽しみとなりました。

そのなかでは、愛馬が死んでしまうという悲しい出来事もありましたが、それでも競馬ファンとしてこれ以上ない素晴らしい経験をすることができたと思っています。現在は家庭の事情もあり、一口馬主をやめていますが、いずれはまた、ラフィアンターフマンクラブで一口馬主をしたい、と考えています。

私が一口馬主をしていたのは8世代で、その間に約15頭に出資しました。
そのうち2世代目に出資したのが、マイネイサベルです。
年間に1頭か2頭出資する弱小一口馬主ながら、マイネイサベルに出資できたのは、かなりの幸運でした。

若駒マイネイサベルは水野貴広厩舎に所属となり、順調に成長していき、そして2歳夏の新潟で、デビューを迎えます。

人気はそれほどありませんでしたが、粘りのある走りで、見事クビ差で勝利。今思えば、このクビ差の勝利が大きな差となったものです。その後、マイネイサベルは重賞戦線をひた走ります。

 ※25戦4勝、松岡正海騎手が22回騎乗。私の現地応援は16回で、そのうち口取り達成が2回。

私が思うマイネイサベルにとっての永遠のライバル・ホエールキャプチャとの直接対決は12戦で、マイネイサベルの3勝9敗です。

2歳新馬戦以降は、重賞戦線を走りに走って、24戦連続重賞出走。

その中で、重賞3勝、重賞2着2回、重賞3着3回(内GⅠ1回)と、素晴らしい走りを見せてくれたマイネイサベル。ただあらためて成績表を見ると、一番人気は1回もありません。ラフィアン牝馬のマイネらしい人気のなさ、といったところでしょうか。そのおかげで馬券でも美味しい思いをさせてもらいましたし、あまりの人気のなさに怒りすら覚えた中山牝馬ステークスを勝った時には、思わず「世間の競馬ファンざまーみろ!」と大声で口走りながら、口取り集合場所に走っていきました。今となっては時効ということで、ここに記させてください(笑)

私は10年近く一口馬主を経験して、出資した馬は合計10勝以上していますが、口取りはマイネイサベルの2回しかありません。口取りに加わるためには、事前に申し込みをして、当日はスーツにネクタイで競馬場を訪れ現地応援をし、その上で勝つ!という条件が必要です。なかなかレアな条件が揃った場合にしか経験できないのです。

人生ではじめての口取りは、とても興奮しました。

現地応援12回目、京都・阪神・福島・新潟・東京と駆けつけ続け2年以上……ようやく、ようやく勝った!という想いでした。

マイネイサベルが1着でゴールした瞬間、口取り参加者の集合場所である東京競馬場の総合インフォメーションへ、ひた走りました。同じように、スーツ姿で喜びながら駆けつける方々と固い握手。握手した方々とは、ここでお会いするのがはじめてです。その後ラフィアンの社員さんに証明書を渡され、それを首から下げて、案内されるままに進んでいきます。普段なら絶対に入ることができない、地下馬道を通ってウイナーズサークルへ。初めて入るウイナーズサークルに興奮している間に、1着が確定したマイネイサベルが登場。そのあとは興奮しすぎてうろ覚えなのですが、関係者の表彰式があり、その後府中のターフの上で口取りがあったように思います。

マイネイサベルの近くに行きたかったのですが、そこはベテラン会員さんに譲り、私は端の方へ。すると松岡正海騎手が隣へやってくるというラッキーが。

「松岡さんありがとうございます!」と声をかけると、「ありがとうございます!  ようやく勝ちましたよ~!!」と笑顔で返答してくれました。あえて端にいったことが、功を奏しました。

その後は集合場所に戻り、少しずつ現実へ。

すると、右目に違和感が。

ソフトコンタクトレンズがないことに気がつきました。

興奮して、目を見開いたり、泣いたりしたので、とれてしまったようです……

マイネイサベルを語る上で欠かすことができないのは、2回のヴィクトリアマイルです。マイネイサベルがGⅠウイナーになる最大のチャンスでした。1回目のヴィクトリアマイルでは、直線に向いて最内をつき、突きぬけるぞ!と思った瞬間、なんと前が閉じてしまいます。一旦外に出して、伸びようとしたら、また前がつまり、都合2回詰まったにもかかわらず、凄い勢いで伸びてきて6着。

最内が空いたら……
前がつまらなければ……

そう思ってしまうレースでした。

2回目のヴィクトリアマイルでは、最内一番枠。さらに松岡正海騎手の騎乗停止により、柴田大知騎手がテン乗りに。最内枠かつテン乗りということで、普段よりやや前目につけて直線へ。直線絶好の手応えで、先頭に立つと、残り50メートルまで先頭!

……でしたが、ヴィルシーナと(マイネイサベル永遠のライバルである)ホエールキャプチャにかわされて3着。栄光がするりと手からこぼれおちました。

慣れていた松岡正海騎手だったら……
先頭にたつのが、あと少しだけ遅ければ……

競馬に「たら・れば」は禁物ですが、マイネイサベル2回のヴィクトリマイルを思い返すと、今でも「たら・れば」を思わずにはいられません。

マイネイサベルに100分の1出資して一口馬主となり、得た喜びや幸せ、貴重な経験は測り知れません。

今後、どのような名馬が出ても、私にとっての一番の名馬はマイネイサベルです。

そして現在はマイネイサベルの産駒がデビューをし、マイネイサベル永遠のライバルであったホエールキャプチャの仔・アルママもデビューをしました。このアルママは岡田総帥が購入してラフィアン軍団で走っているというのも、何か縁を感じるところです。

いずれは一口馬主を再開して、マイネイサベルの仔を持ちたいです。

そしてまた、あちらこちらの競馬場に駆けつけ、目の前で勝利するところを目撃し、口取りに参加して、感動を味わいたいと思っています。

それがいつになるか分かりませんし、もしかするとその日はこないかもしれませんが……それでも、マイネイサベルの仔がG1に勝つことを、願ってやみません。

写真:かず、ちー、Lumina

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