夢、駆ける

私は以前、競馬が嫌いだった。

馬はもとから好きだった。
だけど、お金が絡んでいるイメージもあって、競馬は好きになれなかった。

「無理矢理走らされている」
「かわいそう」

そう思っていた。
あの日のレースを見るまでは。


2015年5月、春の天皇賞で1頭の芦毛が勝利した。
名はゴールドシップ。
私を競馬の世界に引き込んでくれた馬である。

たまたまつけたテレビの画面に、本馬場入場で駆けるゴールドシップを見つけた。灰色がかかっていた白い馬体はどの馬よりも目立っていて、綺麗だった。

ゴールドシップに目を奪われたのは馬体だけではない。他の馬を待たせ続けたゲートに入るまでの1分間もまた、印象に強く残っている。
あそこまでゲートを嫌って入らない馬は初めて見たし、物凄く我儘な馬に見えた。

「きっと、走らない」

あんなにゲートを嫌っていては体力は削られている筈で、馬群に沈んで終わりだと思っていた。
なのに、ゴールドシップはそのレースを制覇した。
あんなに嫌がっていたから、きっとレースも走らないと思っていたのに、勝利を掴んだ。

驚いた、と同時に安心した。

運が良かったのか走ったコースが良かったのかわからないが、ゴールドシップの意志がなければ勝てることはない。
あの日のゴールドシップは私に競馬の世界を教えてくれたのかもしれない。
お金といった人間の都合なんか関係のない、彼らの世界。
私はその日から、SNS等を使って競馬をチェックし始めた。テレビでも毎週見て、月刊誌の「優駿」は毎月欠かさず買った。

春の天皇賞の後、ゴールドシップの姿を見たのは確か宝塚記念だったと記憶している。
普段より大人しいパドックと本馬場入場、ゲートもすんなりと入った。
何か嫌な予感がした。いくら目隠しをされているからといっても大人しすぎる気がした。
他の馬も皆ゲートにおさまってレースがスタートした。

ゲートが開く。

各馬が一斉にスタート。
だが、ゴールドシップだけがその場で立ち上がって吠えた。
テレビ越しでもわかるくらいに会場はどよめいた。なんで立ち上がったのか誰もわからない。本当にゴールドシップはゲートが嫌いで、怖かったのかもしれない。それか、もう走りたくなかったのか。どちらにしても、彼が引退する時期としてはいいタイミングだったのかもしれない。その年の有馬記念を最後に、ゴールドシップはターフを去った。

私から見て、ゴールドシップはとても我儘で個性的で、一番意思表示が上手い馬だった。
走る時は走る。
嫌な時は走らない。
どんな時も、たくさんのファンに愛された。

見かけてから引退するまで、1年も満たない間に私はゴールドシップの虜になって競馬の世界に引き込まれた。そのお陰で、SNSを通じてたくさんの競馬が好きな人と繋がれて、牧場などで働いている方々の日常も少し知る事もできた。そして、ゴールドシップ以外の馬の事、平地ではない障害レース、引退して去ってゆく彼らの事も耳に、目に入るようになった。金銭関係を理由に理不尽な扱いをするような人は、全くといっていいほどに耳にも目にも入らない。お金以前に、関わる人皆が馬が好きだということに気づかされた。今までの私の競馬に対する認識が偏見だと知ってとても恥ずかしく思えた。

私は、沖縄に住んでいる高校生なのだが、競馬の話題は友達の間で出た事がない。

クラスで私の競馬好きは知られているが、中々競馬を知ろうとしてくれる人はいない。変わり者扱いをされるしこともあるし、馬が好きというだけで変にからかわれることもある。

一番悲しかったのは父から「競馬が好きな事はむやみに口に出すんじゃない」と言われた事だった。

沖縄には競馬場がなく、あくまでマイナーな競技であり、馬を扱う牧場や乗馬クラブが殆どないに等しい。馬と関わること自体が珍しいのだ。

何も、全ての人に、私の様に馬を、競馬を、好きになってほしいわけではない。
以前の私みたいに、競馬に対して偏見を持つ人や、馬に対して偏見を持っている人は少なからず存在する。

私は、そんな人たちに競馬の魅力や馬の魅力全てを教えたい。

「かわいい」とか「かっこいい」とかだけでもいい、少しでも興味を持ってくれたら嬉しい。そして、乗馬や馬術があまり普及されていない地域でもそうした魅力が広まってほしい。そうしたらもっと、引退した彼らの生きる道が広がる。処分されるという選択肢が1頭分でも減る。

今私には、現役馬引退馬関係なく様々な馬のイラストを描き、切り絵作品やポストカードといった物を作って彼らの活躍を少しながら広めることしかできない。

だけど将来は、引退した競走馬たちの生きる道を広げ、支え、馬と人が互いに共存できる場所を作れる人になりたい。そう思って、今も私は競馬を楽しみながら観戦している。

絵:兔天狗
写真:がんぐろちゃん

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