世界基準のスーパーホース~無敵の三冠馬・オルフェーヴル~

 

三冠馬オルフェーヴル。

彼の誕生に際しては、いくつかの奇跡的な幸運が重なっていました。

 

まず、ドリームジャーニーの記事にも書きましましたが、ジャーニーの活躍により、社台がオリエンタルアートの放出を踏みとどまったこと。

そしてもう一つの幸運は、2007年に鳴り物入りで種牡馬デビューしたディープインパクトの存在がきっかけでした。

ジャーニーがGI馬となった翌年、当然のようにオリエンタルアートのお相手にはディープが選ばれました。あの「ディープ」ならジャーニー以上の産駒が出るだろうと。

 

まぁ、そう考えるのが普通でしょう。

ところが、オリエンタルアートは3度も種付けを試みたにもかかわらず、ディープの仔を受胎しませんでした。

そして仕方なくステイと種付けをすると、一度で受胎をします。

そう、その時受胎した仔がオルフェーヴルだったのです。

 

今考えれば、なんという奇跡。

まさに、神が介在しているとしか思えない経緯で、オルフェーヴルは生を享けました。

預託先は、もちろんジャーニーと同じ池江泰寿厩舎。

 

デビュー戦を任せた騎手は、池添謙一騎手でした。

 

2010年8月14日のデビュー戦。

結果は完勝でしたが、直線は馬場の真ん中から内ラチまで強烈にササった挙句、入線後には池添Jを振り落すという、先が思いやられる内容でした。

2戦目はホエールキャプチャの逃げを捉えきれず2着。

3戦目、初重賞挑戦となった京王杯では盛大に引っ掛かっての10着惨敗。

 

正直、強いのか弱いのか、よくわからないまま2歳を終えたオルフェーヴル。

 

 

2011年こそ!

と思いきや、3歳初戦のシンザン記念を2着、きさらぎ賞を3着と、父ステイを彷彿とさせるような、重賞惜敗が続きます。

ただ、池添Jは、京王杯の惨敗を教訓として、当時は抑える競馬を覚えさせていた──と、後に語りました。確かにこの2戦の上がりタイムは33.5秒・33.2秒とともに強烈なもので、差し届かなったものの、末脚は着実に磨きをかけていました。

皐月賞出走を賭けて出走したトライアル・スプリングSは、同年3月11日、東日本大震災の発生により、中山競馬場が使用不能となった為、一週延期の上、阪神競馬場で実施されました。

重賞2着はあったものの、この時点で1勝馬だったオルフェは、皐月賞出走のために、何としてもここで権利を取る必要がありました。

 

レースはいつも通り出たなりで後方を追走。

4角で大外から一気に先頭集団を射程圏に捉えます。直線は少し内にササりながらもしっかりと伸び、逃げるグランプリボスを交わし、ベルシャザールの追撃も凌ぎ切ります。

 

ようやく待望の2勝目を「重賞初制覇」であげ、堂々と皐月賞へ駒を進めることになりました。

 

そしてここから、彼の伝説が幕を開けたのです。

 

2011年4月24日、震災の影響で東京開催となった皐月賞。

6枠12番からの出走となったオルフェーヴル。

2歳時に東京で惨敗していた事と、兄ドリームジャーニーが左回りを苦にしていた事も重なり、4番人気にとどまりました。

道中は珍しく池添Jが中団内の馬込みへ入れます。そしてそのままの位置で4角から直線へ。一瞬外を狙ったが行き場がないと見るやすぐに内へ進路を切替え、前が開いた瞬間、一気に突き抜けます。

あとは後続を全く寄せ付けず、3馬身差の圧勝。

ステイ産駒はGI 5勝目にして、初のクラシック制覇となり、池添Jにとってもまた、初の牡馬クラシック制覇でした。想像以上に他馬との圧倒的な力差を感じた僕は、夢の二冠、ダービー制覇へ視界良好と見て、多少興奮気味で騒いでいたのを覚えています。

 

そして2011年5月29日、日本ダービー。

東京競馬場は降雨・不良馬場。

「天はオルフェに試練を与えたか……」と、自信は一気に不安へと変わりました。

オルフェーヴルは定位置の後方14番手から追走し、4角でもまだ12番手。

「これで届くのか?」と感じた瞬間、直線入口で、外からナカヤマナイトの柴田善Jにぶつけられ気味に蓋をされ、内のサダムパテックとの間で完全に進路がなくなったように見えました──が、そこで怪物・オルフェにスイッチが入ったのです。

はじき飛ばすように2頭の間を割ったオルフェ。ところがさらに外からナカヤマナイトがオルフェの前をカット気味に内へ押し込みにかかります。この時の柴田善Jの騎乗は、かなり強引で思わず眉をひそめるほどのものでしたが、そんな不利もどこ吹く風の豪快な末脚で、追いすがるウインバリアシオンを1馬身3/4退け、3着馬は7馬身引き離す完勝。

 

まさに無敵と言っていい二冠馬誕生──オルフェ時代到来の瞬間でした。

それにしても……何度見ても、最後の直線、よくあそこを抜けてこられたなぁと、オルフェの勝負根性の凄まじさに震えました。

 

「ステイ産駒がダービー制覇」という喜びはもちろんですが、それ以上に「ステイ産駒から三冠馬が誕生」という、ステイ引退時にはおそらく誰一人として想像していなかったような現実が、本当に起きるぞと、何故か確信めいたものを感じていました。

 

オルフェはそのまま無事に夏を過ごし、秋初戦は神戸新聞杯へ。

ダービーから馬体重は16キロ増でしたが、全く太目は感じさせずに結果は完勝。

素晴らしい成長を見せて、いよいよ三冠目、菊花賞へと向かいます。

 

 

 

2011年10月23日、京都競馬場・菊花賞。

距離は問題ないと思っていましたが、唯一、気性の悪さが出て掛かってしまう事だけが心配でした。

レースは、前走と一転して好スタートから中団につけます。

ところが、すぐに1周目の3角手前でガツンと掛かってしまい、首を上げて少し口を割る状況に。必死に池添Jが抑え、スタンド前の直線を向いた時には馬込みの内に入れ、上手く折り合いをつけます。それ以降はスムーズに掛かる事なく3角過ぎから仕掛け、4角外からほぼ持ったままで先頭集団に並びかけると、なんと直線を向いた時には既に先頭へ。

「早すぎるぞ!」という心配も杞憂に終わり、そのままあっと言う間に後続を引き離し、ゴール前は流す余裕を見せるほどの大楽勝。それでいて勝ちタイムは当時のレコードからコンマ1秒遅いだけの3分2秒8という素晴らしい時計。

まさに非の打ちどころのない内容で、あっさりと史上7頭目の三冠を達成してしまいました。

そして入線後またも池添騎手を振り落すというオマケ付き。

最後に自己主張をしっかりと見せつけ、まさに破天荒、最高に強くて面白い三冠馬の誕生でした。

 

僕自身も直線入口で勝ちを確信したほどに、他馬とは全く手応えが違って見え、あとはどれだけ引き離すかだけというレースぶり。

ダービーの時に感じた確信はやはり正しかったなと、この時は爆発的な嬉しさというよりも、静かに喜びをかみしめるといった感じだったように思います。

ここまで素晴らしい成績が続くと、産駒がデビューした頃とは、喜びの沸点が全く違ってくるものです。

よくない事だなとは思いながらも、そのあたりから自然と「重賞勝ち?当然!」ぐらいの感覚になってしまっていました。

 

 

 

三冠馬として臨んだ有馬記念は、オルフェが唯一の3歳馬。

古馬陣は強力で、引退レースとなるGI6勝馬ブエナビスタ、前年ドバイワールドカップを制したヴィクトワールピサ、天皇賞馬トーセンジョーダン、ダービー馬エイシンフラッシュなど、8頭ものGI馬が立ちはだかりました。

しかしオルフェはその猛者たちを全く問題にせず、いつも通り後方につけ、4角手前からひとまくり。

直線はあっという間に抜け出し、必死に追いすがるエイシンフラッシュも全く届かず、ゴール前は抑え気味で着差以上の完勝。名実ともに日本最強馬となりました。

4歳で三冠と有馬記念の四冠を制したのは、シンボリルドルフ、ナリタブライアンに次ぐ史上3頭目。歴史的名馬にも肩を並べ、文句なしで年度代表馬も獲得。

2011年はまさに「オルフェーヴル一色の年」となりました。

 

 

 

そして池江泰寿調教師は、「来年、凱旋門賞へ行きます」と高らかに宣言します。

明けて4歳、さらなる飛躍の年になるはずだったオルフェーヴルですが、一転。暗雲がたちこめます。

まずは春の盾を目指し、阪神大賞典から始動。1.1倍という圧倒的1番人気。

菊花賞で既に距離の壁はない事を示していた事もあり、もはやファンの興味は「どんな勝ち方をするか」でした。

ところが、スタートしてみると、想定外の展開が。いつもと違いオルフェをスタートから出して行った池添J。一旦5番手の外で落ち着いたように見えましたが、大外枠出走が仇となり、前に馬を置けない状態で、明らかに行きたがっていました。

1周目の4角手前では3番手。

その瞬間後方からナムラクレセントがオルフェの外から一気に先頭まで押し上げます。これに怒ったように、スタンド前ではナムラを追いかけて2番手へ。

おまけにペースが1000m64秒9の超スロー。

意識してナムラから離れた外を走らせていた池添Jですが2角過ぎでは我慢できずナムラに並びかけ、向こう正面でついに先頭に立ってしまいます。

そして3角、オルフェは突然外側へ逸走…… 

TV観戦していた僕は、完全に故障だと思い、目を覆いました。画面を見る事ができず、俯いていたのです。

すると「オルフェーヴルが盛り返してくる!」という実況の声が聞こえ画面を見ると、もの凄い勢いで4角手前、大外から一気に先頭集団まで上がってくるオルフェが見えました。

まさに怒涛の追込み。

目の前で起きている事がよく理解できないまま、「差せぇ!オルフェ!」と絶叫していました。

 

結局内から抜け出したギュスターヴクライに1/2差及ばずの2着でしたが、皮肉にもこのレースでオルフェへの評価はさらに暴騰し、Youtube等の動画も多数アップされ、世界的にも「とんでもない化け物だ」という評価が広がり、「アンビリーバブル!」「こいつが凱旋門賞に来るのか!」と驚きの声が多数伝えられた記憶があります。

 

面白かったのは、4角でオウケンブルースリ安藤勝騎手、ジャガーメイル四位騎手が「嘘だろ?」という感じで外から来たオルフェを見ていた事と、入線後1着の福永騎手が横のオルフェを見て苦笑いしていた事です。

それ程他のジョッキーにも驚きを与えた大立ち回りでした。

 

結果的には、好位を取りに行った事がこうなった一因ではあるのですが、これはもう明らかに「凱旋門賞」を意識したレースだったのだと思います。

「後方一気」ではまず届かないレースだけに、秋の大一番に向けて、好位で折り合い、抜け出す競馬をしようとしたけれども失敗したのだと。

 

ただこのレース、オルフェが逸走したと言われているのですが、僕自身は当時疑問を持っていました。パトロールを見てみると、3角まで離れた外を走らせていたオルフェを、カーブの手前で、池添騎手が手綱を引いたように見えたからです。

要するに、先頭に立った状態で手綱を引かれたオルフェが、レース終了と勘違いしただけじゃないのかと。僕には、自分で逸走しているようには見えませんでした。自分でレースをやめようとした馬が、自分の意志で再びレースを始めるでしょうか。僕には、彼が自分で追いかける意志を示し、再び追走を開始しているように見えたので、さらにその想いは強くなりました。当時競馬関係者で、同様の事を書かれていた方もいたと思います。

あくまでも僕個人の意見ですが。

 

──ともあれ、この大立ち回りで平地調教再審査となり、厩舎スタッフ一丸となって再審査合格のための調教をオルフェに課します。

おそらくオルフェ自身の気持ちを抑え込むような調教だったと想像します。

僕が思うに、オルフェ自身の気持ちは「なんでいつもと違う事をやらされるんだろう?」ではなかったかと。

 

 

 

無事再審査を合格し、天皇賞・春へ向かったオルフェですが、その舞台では全く彼らしさを出すことなく、過去最低着順の11着に沈みます。僕には、走るのが嫌になったかのように見えました。

審査に向けて行った、いつもとは違う調教が彼の精神面に影響したのかもしれません。

この大敗によって、もちろん凱旋門賞は一旦白紙となり、2か月後の宝塚記念での復活が、渡仏への条件となりました。

 

厩舎スタッフの懸命の努力により、宝塚記念出走にこぎつけたオルフェでしたが、池江調教師の「好調時の70%ぐらい」のコメントが聞こえてくるにつけ、もう祈るしかないといった心境。

ただ、心の片隅では「大丈夫。オルフェならば7分のデキでも勝てる」と信じる自分もいました。

 

気になっていた枠順は、6枠11番。

ここでまず一安心します。

スタート後、今回はさすがに出していかず、前に馬を置いて中団少し後方を追走。

いつも通り、4角は大外を回すのかと思いきや、馬群に包まれたまま直線を迎えます。

 

ところが直線を向くと、オルフェの前方がきれいに開き、遮るもののない馬場を一直線に伸びるオルフェ。終わってみれば2着ルーラーシップに2馬身差をつける完勝でした。さらに上がりも最速。まさに完全復活を遂げたオルフェは、自ら再びフランスへの扉を開いたのです。

 

ホッとするとともに、「これで7分なのか?池江先生、泣き過ぎじゃない?」と思ったのも事実です(笑)

 

 

 

勇躍フランスへ渡ったオルフェーヴル。

帯同馬には同厩舎のアヴェンティーノが選ばれました。

しかしそこに池添騎手の姿はありませんでした。馬主サイドの意向で、凱旋門賞はフランスのトップジョッキー、クリストフ・スミヨン騎手で挑む事が決定したからです。

乗り替りについては、決定までが意見が分かれたとされており、おそらく、阪神大賞典の一件がなければ、そのまま池添騎手だったのでは……と、今でも思っています。

当時も賛否両論ありましたが、2003年ダラカニ、2008年ザルカヴァで既に凱旋門賞を2勝しているスミヨン騎手ですから、陣営としては、勝利の為、悔いを残さないよう、万全の手を打つ。その結果の乗り替わりだったのだと思います。

 

そして仏遠征初戦となったフォワ賞、6頭立てと少頭数でしたが、オルフェは1番人気。

サンクルー大賞・ベルリン大賞とGI2連勝の2番人気ミアンドルが強敵と思われました。

レースは帯同馬アヴェンティーノがラビットを務め、絶妙のペースで引っ張ります。

オルフェは多少掛かるところを見せながらスミヨンががっちり手綱を抑え、最後方で直線へ。最内を突いたオルフェが一気に数頭を交わすと、前で逃げていたアヴェンティーノがスッと外へ出し、オルフェの進路を確保。

そこをぐぃっと抜け出したオルフェはその後もしっかりと脚を伸ばし、ミアンドルに1馬身差をつけてゴール。

 

見事にステイ産駒・そして自身の海外重賞初制覇で前哨戦を飾りました。

 

 

ロンシャンの馬場適性も全く問題なく、ファンから見ればすこぶる順調に思えた内容でしたが、池江調教師にとっては、あまり満足いく結果ではなかったようです。着差が思ったほどではなかった事も一因だとは思いますが、もうワンランク上の状態へ仕上げるべく、さらに調整を続けます。

 

 

そしてついに、その日がやってきます。

2012年10月7日。

ロンシャン競馬場・凱旋門賞。

 

最大の敵と見られていたのはキャメロット。前走セントレジャーで2着。初の敗戦を喫したものの、それ迄はデビュー以来5連勝、GI4連勝でエプソム・アイリッシュ両ダービーを制覇した強豪でしたが、当日は2番人気。

もちろん1番人気はオルフェーヴル。

奇しくも、あの阪神大賞典と同じ大外枠からの出走となりましたが、池江師曰く、「完璧な状態」でレースを迎えます。

スミヨン騎手は、スタート後すぐに少し内へ入れ、前に馬を置いた状態で後方3番手辺りからの競馬。ほぼ隊列の変わらないまま、フォルスストレートへ。直線手前でもまだ後方。

凱旋門賞は「後方一気では勝てない」レース。この位置で大丈夫なのか?と、TV観戦しながら焦っていました。

 

直線、大外に持ち出したオルフェは、スミヨン騎手が軽く仕掛けると、他馬とは全く違う脚色で、あっという間に馬なりで十数頭を交わし去り、一気に抜け出します。僕自身この時点で「勝った!」と確信しましたし、日本中の多くのファンが同じ気持ちだったと思います。

しかしその瞬間、一頭で抜け出したオルフェが、右へ大きくヨレ始めます。スミヨンJが右ムチを入れても全くリカバリー不能。

大外を抜け出したにもかかわらず、最後ゴール前で内ラチに身体をぶつけたことからも、どれだけ大きくヨレたかがわかります。そして、他馬が大きく後方に置かれる中、ただ一頭オルフェを追ってきた12番人気の伏兵、オリビエ・ペリエ騎乗の4歳牝馬ソレミアに、ゴール寸前クビ差差し切られてしまいます。

ほぼ手中に収めていたはずの世界一の称号が、スルリとこぼれ落ちてしまったのです。

3着馬は遥か7馬身後方だっただけに、あまりにも悔しい敗戦、受け入れがたい結果でした。

 

正直、オルフェが外から突き抜けてきた時、一瞬の間に「やった!これで悲願の凱旋門賞を勝った!」という喜びと同時に「でもこんなに簡単に勝っていいのか?現実なのか?」という、何とも複雑な想いがグルグルと頭の中を交錯した記憶がありますが、それも一瞬にして虚脱感へと変わりました。

 

30年以上競馬を見ていますが、あれだけの手応えで抜け出してきた馬が差し返されて負けるなんて見たこともありませんでしたし、ゴールした瞬間は、何が起こったのか理解できないというのが正直な感情だったと思います。今でも何度かこのレースの動画を見直す事がありますが、何度見ても「いや、勝つでしょこれ」と思ってしまいます。

 

あと、忘れてはならないのが帯同馬アヴェンティーノとクラスト騎手でしょう。

フォワ賞はラビットを務め、直線は絶好のタイミングでオルフェに進路を譲り、本番では、

後半、オルフェが外へ逃げないよう、4角までオルフェから一頭分スペースをとった外をぴったり追走。

帯同馬としては文句なし。

完璧な仕事ぶりには感動しました。

 

オルフェの敗因については、レース後、様々な意見が飛び交いましたが、僕自身の想いは一貫して変わっていません。

それは、「オルフェは決してバテてヨレたのではない」「池添騎手なら間違いなく勝っていただろう」という事です。もちろん正しいかどうかはわかりません。でもそう信じています。

特に後者については、スミヨン騎手には油断があったと思います。あまりにも楽に先頭にたって、「勝った」と確信した瞬間に内にササり、慌てているように見えました。

心の準備ができていなかったなと。

僕は父ステイゴールドの香港ヴァーズのパトロールフィルムのDVDを所有していて、比較してみたのですが、まさに今回のオルフェとそっくりの動きでした。あの時も馬場の真ん中から内ラチにぶつかる寸前まで、しかも初めて右にササったにもかかわらず、武豊Jは慌てる事なく、一瞬の判断で手綱の操作で手前を変えさせ、ステイを大逆転勝利に導きました。

個人的には、池添騎手ならしっかり心の準備はできていただろうし、武豊騎手の冷静な判断力と技術があれば立て直せたのではないかと思っています……が、何を言っても全ては後の祭り。池江調教師は、自分の調教方法が敗因だと仰っていました。

後に「父ならオルフェを勝たせられたのではないか」とも語られています。

 

多くの観客の目には、一番強かったのはオルフェに映ったでしょう。それでも手が届かない、何かロンシャンの魔物に阻まれたような……何ともわけのわからないモヤモヤした気持ちで、その日はなかなか眠りにつく事ができませんでした。

 

 

 

帰国後、万全のデキにない中、ジャパンカップに出走しますが、三冠牝馬ジェンティルドンナとの叩き合いの末、ハナ差2着に敗退。

その後、陣営から「来年も現役続行、凱旋門賞へ再挑戦する」という発表があり、僕自身、歓喜しました。もちろん、次こそ確勝だと信じて疑いませんでしたから……。

 

有馬記念をパスし、2013年は産経大阪杯で始動し快勝。当初の予定通り、宝塚記念をステップにフランスへ向かう…はずだったのですが、またも悪夢が襲います。宝塚記念の1週前追い切りの後、息遣いの荒さと咳も出ていた事で検査をした結果「運動誘発性肺出血」という診断が出て、宝塚記念は無念の回避。仏遠征へ暗雲がたちこめました。

 

幸い早期発見だった事で、その後オルフェの体調は順調に回復、凱旋門賞出走が正式に決定。ジョッキーは昨年と同じくスミヨン騎手。

前年同様、前哨戦として臨んだフォワ賞は、完璧な内容でした。内ラチ沿いの3番手を追走。直線軽く仕掛けると一気に抜け出し、スミヨンが後ろを振り返る余裕を見せての3馬身差。強い相手はいなかったとはいえ、前年よりも数段好内容だっただけに、本番へ向けての期待は大きく膨らみます。

 

2年連続1番人気で迎えた凱旋門賞。しかし……この年は、とんでもない相手が出走していた事に、レース前には全く気付いていませんでした。

 

4戦4勝の怪物牝馬、トレヴ。

彼女に5馬身という決定的な差をつけられての2着──これはもう完敗を認めざるをえませんでした。

 

 

トレヴは翌年凱旋門賞を2連覇。前年の勝利寸前の大失速に続き、2度目の挑戦は何十年に一頭というレベルの牝馬と邂逅してしまった。それもまた、欧州調教馬以外の勝利を拒み続ける「凱旋門賞」に棲む魔物の仕業かと言いたくなるような、悔しい結果でした。

 

 

帰国後、有馬記念がラストランに決定。

鞍上にはもちろん池添騎手。

 

2013年12月22日、12万人を超える大観衆が見守る中山競馬場で、怪物オルフェーヴルの引退レースが始まります。

 

道中は定位置の後方2・3番手。いつもと違ったのは、2周目の3角辺り。早々にマクリ気味で次々と他馬を交わし、ジョッキーの手が激しく動く他馬を尻目に、4角では、ほぼ馬なりのまま先頭へ。直線一気に抜け出すと悪癖が出ないよう、すぐに内ラチ沿いまでオルフェを導く池添J。あとはもう後続を引き離す一方で、ゴール前は流す余裕を見せ、ウインバリアシオン、ゴールドシップを8馬身後方に置き去りにする大楽勝。

引退レースにして、過去最高の着差。

驚愕のパフォーマンスを見せつけて、愛すべき怪物はターフを去りました。

 

レース前、池江調教師は池添騎手に「トレヴのような競馬を」とリクエストしていたそうです。戦前「出来は80%程度」と言っていたにもかかわらず、すごい自信ですよね。

そして池添騎手はしっかりとその指示を実行してくれました。

 

おそらく、多くのファンが「来年凱旋門賞に行ったら勝てるよね」と感じたはず。

僕自身も、2014年のトレヴなら… と今でも想う事があります。

 

 

 

夢の実現は自身の産駒に託し、社台スタリオンステーションにスタッドインしたオルフェ。

そして、2017年に初年度産駒がデビューすると、ロックディスタウンが札幌2歳Sを制覇、ラッキーライラックが新馬・アルテミスS・阪神JFと3連勝して最優秀2歳牝馬に選出。桜花賞、オークスは2・3着に甘んじたものの、素晴らしい活躍を見せます。

 

そして昨年の牡馬クラシック、エポカドーロが皐月賞1着、ダービー2着と中心的存在となりました。

初年度産駒から牡牝クラシック4冠で1勝2着2回3着1回……父ステイゴールドの後継種牡馬として、文句なしの結果と言えるのではないでしょうか。

しかもエポカドーロは日高産の馬。

 

この辺りもステイの血が生きていると言えそうです。

 

 

2017年は84頭がデビューして7頭が勝利。勝ち上がり率の低さ(約8%)を揶揄されましたが、最終的には131頭中38頭(29.0%)と、勝上り率を上げました。2世代目の現3歳は125頭中25頭(20.0%)が勝利。重賞勝利こそありませんが、セラピア、シェドゥーヴル等、デビュー勝ちしている楽しみな産駒が多数います。

 

まだ少し早いとは思いますが、僕自身は世間の評価とは違い、大種牡馬へ、好スタートを切ったと思っています。

これから登場してくる若駒たちから、自身を凌ぐような超大物出現を期待したいところです。

文・golden voyage

写真・Horse Memorys

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