サトノダイヤモンド~その瞳が見つめる先~

2013年1月30日。

一頭のサラブレッドがこの世に生を受けた。

父ディープインパクト、母マルペンサ。
ノーザンファームに生まれたこの馬の額には、きれいなダイヤモンドの形をした流星が流れていた。

サトノダイヤモンド。

2018年9月現在でGⅠ2勝を挙げているこの馬が歩んだ道のりは、幾多もの栄光と、挫折と、個性豊かな戦友たちによって彩られている。今日は、彼が歩んだ軌跡を振り返ってみたいと思う。

彼はセレクトセールの2013年・当歳にて「サトノ」の冠名で知られる里見治氏に2億4150万円という高額で落札された。これまでも高額で良血馬を多く落札していた里見オーナーであったが、ここまでの高額で馬を購入したことはなかった。  

購入の背景には、あの名馬ディープインパクトを手掛けた名伯楽池江泰郎氏の姿があった。彼と、その息子で──こちらも三冠馬オルフェーヴルを手掛けた名伯楽である──池江泰寿氏は、里見オーナーにバランスの良さなどから「この馬が当歳では絶対だ」と述べたという。

またこの時、今は「ミエノ」の冠名で知られる妻の美恵子氏はこの馬の額の流星に目を付け、「買えたら名前はダイヤモンドね」と夫に向け囁いたそうだ。

結局購入されたこの馬は、サトノダイヤモンドと名付けられた。額に輝くダイヤモンドの印。いつの日か光り輝くことを願って。

「サトノ」の勝負服に黄色のダイヤモンドが並んでいるのはきっと運命だったのだろう。

預託先は名門池江泰寿厩舎。競走馬としてデビューするずっと前から、多くの関係者の期待を背負っていた。

そんな彼の初陣は2015年11月8日。京都競馬場芝2000mの重馬場だった。この新馬戦は「5億円対決」としてメディアでも大きく取り上げられることになった。

「5億円対決」。

2013年のセレクトセール当歳にて、サトノダイヤモンドは2億4150万円、そしてもう一頭、ロイカバードという馬が2億5200万円という高額で落札されていた。

両馬の父はご存知「英雄」ディープインパクト。

ロイカバードの母アゼリは米GⅠを11勝し牝馬ながら米・年度代表馬に輝いた名牝、サトノダイヤモンドの母マルペンサもアルゼンチンGⅠを3勝した名牝。互いに値段にたがわぬ血統の持ち主だった。

この、合計すると約5億円にもなる超高額馬がなんと初戦で火花を散らすことになった。

競馬は必ずしも高い馬や良血馬が走るわけではない。むしろ期待されていなかった馬が走るほうが面白かったりする。私も、オグリキャップや、テイエムオペラオーや、キタサンブラックのような馬が活躍するレースを見るのは好きだ。

然れども、走る馬と走る馬を掛け合わせて、お互いの良いところを受け継いだ馬が走るのを見ることもまた楽しみである。見栄えも血統も良いとは言い難いが能力だけは超一流のサンデーサイレンスと、受胎中に独GⅠを制したウインドインハーヘアの間に生まれた「英雄」ディープインパクト。ダービーをレコードで駆け抜けたキングカメハメハと、社台グループの結晶のような血統でエリザベス女王杯連覇のアドマイヤグルーヴの間に生まれた二冠馬ドゥラメンテ。

良い馬と良い馬を掛け合わせてより良い馬を生み出したいという、おそらく人類が馬産を始めたころからあった欲求は、今日、良血馬という形で結晶化されている。

そんな希望が、夢がこもった良血馬たちが、デビュー戦で衝突するのだ。

「5億円対決」にて、人気の方では「安い方」ことサトノダイヤモンドが1.6倍の1番人気、鞍上は前年からJRAの通年免許を獲得した名手クリストフ・ルメール。「高い方」ことロイカバードが次いで4.3倍の2番人気、その他、後に重賞でも功績をあげるロードヴァンドールなどが名を連ねていた。

自身の輝かしい未来へ向けて、ゲートが開く。

結果として、サトノダイヤモンドは危なげなく勝利した。2着ロイカバードには2.1/2馬身差をつけていた。

彼は初戦から、レースセンスの高さを示した。スタートを決め、先団につけるが全く折り合いを欠くこともなく、捲ってきた馬につられることもなく、直線に入り鞍上のゴーサインに瞬時に答えパっと抜け出す。まるで歴戦の古馬のようなレース運びだった。賢い馬だな、というのが私の第一印象だった。

続く二戦目も、前走の走りが評価され1.2倍のダントツ1番人気に押されると、ここでもスキのない走りで3・1/2馬身差で制する。

年が明けて三戦目。2月の京都芝1800m・GⅢきさらぎ賞。二度目の「5億円対決」だった。ロイカバードは新馬戦2着の後2連勝で重賞の舞台に名乗りを上げていた。しかしサトノダイヤモンドのオッズは1.2倍とファンは1強だと考えていたようだ。

レースがはじまる。中団でレースを進め、4番手に上がって4コーナーを回る。前3頭までは2馬身もない。射程圏に捉えた、後は後続がどうか。外からロイカバードがムチを入れる。しかしここからようやく追い出したサトノダイヤモンドはビュンと加速する。前の3頭はあっという間に交わした。他馬を突き放す。3.1/2馬身差をつけてゴールイン。

「強い!」

ただそう思った。

3戦3勝で重賞制覇、しかもいずれも2馬身差以上をつけての完勝は否が応でもクラシックへの期待を抱かせるものだった。並の馬ではないという実感があった。私は新馬から見てきた馬がこんなに強い馬だとわかって嬉しかった。馬主でも、POGで指名した馬ですらないのに、気づけばその馬のレースを見るのが心から楽しみだった。次はどんなレースを見せてくれるだろう、あの強い馬やこの強い馬にも勝てるだろうか、いや彼ならきっと勝てる、勝ってくれる。

サトノダイヤモンドは、私にとってのヒーローになった。

2016年4月17日。

その日は低気圧の影響で朝から強い風が吹いていた。私の乗っていたJR武蔵野線も止まっているのではないかと疑うような超が付くほどの徐行運転で、目的地に着くのだろうかという不安に駆られた。結局予定よりは遅れたが無事に駅に到着し、周りのお客さんについていき、雨の中決戦の地に向かった。

GⅠ・皐月賞。

それは千葉県船橋市・中山競馬場で行われるクラシックレースの第一戦である。

世代の有力馬たちが最初にぶつかる舞台としてよく認識され、シンボリルドルフやディープインパクトなどの歴史に名を残す数々の名馬たちが最初に勝ったGⅠがこの皐月賞であることも多い。

とりわけ、この年クラシックに臨む馬たちは「最強世代」と呼ばれ、注目を集めていた。1番人気は無敗できさらぎ賞を制したサトノダイヤモンド。

2番人気はわずかデビュー2戦目でGⅠ・朝日杯FSを制したリオンディーズ。

3番人気はそのリオンディーズを前走で下し、父と同じ無敗の弥生賞馬に輝いたマカヒキ。

以下安定感のあるエアスピネル、3連勝でGⅡ・スプリングSを制したマウントロブソン、末脚魅力のロードクエスト、近年皐月賞への直行ローテが注目されてきたGⅢ・共同通信杯勝ち馬ディーマジェスティなどなど底を見せない役者たちがそろっていた。

中でも人気3頭、サトノダイヤモンド、リオンディーズ、マカヒキの「3強対決」と呼ぶ声が多く、その勝敗が注目された。

オーナーの里見氏にとっては、初のGⅠ制覇がかかっていた。前年も一番人気でサトノクラウンを皐月賞に送り出したが、ドゥラメンテの驚異的な末脚の前に6着敗退。続くダービーでは持ち馬が2着3着とあと一歩のところでGⅠに手が届かなかった。巷では、里見オーナーはGⅠをどうしても勝てないという「サトノの呪い」という不名誉な言葉も囁かれていた。サトノダイヤモンドはオーナーに初のGⅠタイトルをプレゼントできるか。こうしたことも注目された。

私はこの1戦を心待ちにしていた。それは「最強世代」の最初の対決であるからでもあるが、同時にその皐月賞が初めて現地で見るGⅠであったからであった。大学に入って上京し、初めて生で見るGⅠ、楽しみでないはずはなかった。

あっという間に時間が過ぎ去り、パドックが終わる。人がぞろぞろとスタンドへ流れる。

レース前のVTRが流れる。

拍手。

ファンファーレが鳴り響く。

また拍手、歓声。

今、ここにいる者だけが共有できる至高の時間だ。

春の中山は強い風が吹いていた。雨はすでに降り止んでいた。

ゲートが開いた。11番サトノダイヤモンドは好スタートを決めるが、追って隣のリスペクトアースが先頭に立った。そして外から2番手に立ったのはなんと16番のリオンディーズだった。そんなに前に付けるのかとざわめきが中山を包む。サトノダイヤモンドとエアスピネルは中団、マカヒキは最後方の一団で2コーナーを回る。

向こう正面に入り、強い向い風が18頭の駿馬たちを襲う。馬群は縦長で、サトノダイヤモンドはちょうどその真ん中にいた。彼の姿がターフビジョンに大きく映し出される頃、1000mの参考タイムが映し出された。58.4。ハイペースだった。

3コーナー。各馬追い出す。サトノダイヤモンドもいい手ごたえで加速をつける。リオンディーズが先頭に立って4コーナーを回り直線を迎える。

2番手マウントロブソン、エアスピネル、そしてサトノダイヤモンドがリオンディーズに襲い掛かる。「行け!サトノ!」と私は叫んだ。残り200mを切って、リオンディーズとエアスピネルにサトノダイヤモンドは並びかける、がなかなか伸びない。抜け出せない。

と、その瞬間、1頭の馬が瞬く間にサトノダイヤモンドの横を通り抜けていった。マカヒキか?いや違う、ピンク帽だった。その馬はあっという間にエアスピネルとリオンディーズを交わすと1馬身、2馬身とあっという間に突き放す。外からようやく本物のマカヒキが伸びるが追いつかない。サトノ!と私は呆然としつつ叫んだが、彼はその遥か後方でリオンとエアと3着争いをしていた。

「ディーマジェスティ、ゴールイン!!」

タイムは1.57.9、皐月賞レコードだった。

勝ち馬は8番人気ディーマジェスティ。

あまりに鮮烈な突き抜け方だった。その強さにしばし呆然としていた。2着は弥生賞馬マカヒキ。こちらも後方からものすごい足で伸びてきたが先に抜け出した勝ち馬には及ばなかった。それでも「三強対決」では最先着だった。

サトノダイヤモンドは3着だった。前にいたリオンディーズ、エアスピネルは何とか交わしたがあっという間にディーマジェスティに交わされてしまった。あれだけ強かったはずの馬がこんなにあっさり交わされるなんて……。心からショックだった。 

しかし、終わって1週間ぐらいしてから、サトノダイヤモンドはそれでも負けてなお強しともいえる内容のレースをしていたと思うようになった。距離の面、ローテーションの面でまだ挽回できると考えていた、というよりはただそう信じていた。

次は、次こそは……。

クラシックの2戦目は東京競馬場で開催される日本ダービーである。

競馬の祭典と呼ばれるこのレースはすべてのホースマンの夢舞台で、そのレースに勝てたら引退してもよいというジョッキーがいるくらいだ。

新緑萌ゆる五月最終週の府中は、生涯一度の勲章を手にすべく闘う者たちの熱気、そしてその死闘を是が非でも見届けんとする大勢の観戦者の熱気で包まれていた。

巷では「新3強対決」と謳われたこの年のダービー。

1番人気は皐月賞をレコードタイムで制したディーマジェスティ。鞍上は24回目の挑戦で悲願のダービー制覇を目指す蛯名正義だった。鞍上への応援、絶好の一番枠、皐月賞馬。一番人気に相応しい背景を持つ馬だった。

2番人気はサトノダイヤモンド。初めて1番人気を他馬に譲ったが、きさらぎ賞から直行の前走はやや調整不足か。距離延長もプラスで一気に頂点へ。

3番人気はマカヒキ。皐月賞では伏兵ディーマジェスティに敗れたものの4戦すべて上がり最速と末脚は確か。直線の長い府中で逆転を狙う。

以下、溜めて乗りたいGⅠ馬リオンディーズ、世代最多の重賞3勝で挑むスマートオーディン、勢いある青葉賞馬ヴァンキッシュラン、掲示板を外さないエアスピネルと、伏兵も虎視眈々と世代頂点の座を狙っていた。

生でパドックを見ることを早々に諦めた私は、観戦席でビッグスクリーンから今日の主役たちを眺めていた。自信漲る様子でゆっくりとパドックを廻る馬たちは、屈強な戦士の様にも、高潔な騎士の様にも見えた。初夏の日差しが彼らを燦燦と照らし続けている。

そして返し馬。1頭1頭晴れ舞台に姿を現す。それぞれに盛大な声援が注がれる。本日の入場人員が発表される。130,597人。尋常じゃない人の数だ。熱気が府中の森を包み込んでいる。  

気分を高揚させる煽りVTRが流れ、いよいよファンファーレが鳴り響く。会場のボルテージは最高潮だ。1頭1頭ゲートに入る。独特の緊張感と高揚感が会場を包む。

一生に一度の夢舞台。ゲートが開いた。マイネルハニーが逃げて1コーナーから2コーナーへ。エアスピネルは先団に付け、サトノダイヤモンドはちょうど中団当たり、その内に、今日は前目に付けたマカヒキ──そして、ディーマジェスティ。「新三強」は同じ位置で向こう正面を過ぎる。リオンディーズは後方で1000m1.00.0。平均ペースか。

4コーナーでエアスピネルに並びかける勢いのサトノダイヤモンド。府中の長い直線。残り300mで先頭に立つエアスピネル、半馬身差まで来たサトノダイヤモンドと内から伸びるマカヒキ。残り100mでマカヒキが先頭に立つ、外から追うサトノダイヤモンド。大外からディーマジェスティが伸びるが前には届かない。

マカヒキか、サトノダイヤモンドか、マカヒキか、サトノダイヤモンドか、並んでゴールイン!!

──どうか!?

最後の勢いはサトノダイヤモンドが勝っていた。しかし、マカヒキも伸び続けていた。ターフビジョンにリプレイが映る。ややマカヒキが先着しているようにも見える。しかし微妙だ。しばらくしてサトノダイヤモンドが先にダートコースから引き返し、掲示板に馬番が灯った。

勝者はマカヒキだった。

掲示板の1着にマカヒキの馬番である3が灯った時、鞍上の川田将雅は人目をはばからず落涙した。それだけのものを賭けてこのレースに挑んでいたのだろう。ウイニングランで、大歓声が川田将雅とマカヒキを迎える。勝者を讃える声援が至る所から飛びかう。

2着サトノダイヤモンドとの差は8㎝だった。さらにレース後、サトノダイヤモンドが落鉄していたことが明らかになった。落鉄がどれほど競争能力に影響を与えるかは明らかではないが、小差だっただけにそれがなければ……と不運を嘆く者は少なくなかった。もっとも運のよい馬が勝つという日本ダービー、その8㎝はわずかな差か、絶望の距離か……。

私は次こそGⅠを獲ってほしいと切に願った。

私にとっても、GⅠ獲得は悲願になった。

3着には、1番人気ディーマジェスティが入った。上位2頭を懸命に追う姿に秋以降の復権を期待するファンも多かった。4着に今日も掲示板は確保したエアスピネル、5着に上がり最速も届かなかったリオンディーズが入った。

皐月賞と同じ5頭が掲示板を独占したことで、世代の中心はこの5頭が担うと考えられた。しかしリオンディーズは浅屈腱炎、前浅屈腱繋部の不全断裂を発症し引退。一足早く種牡馬入りし、2018年に初年度産駒が誕生している。第2の馬生に期待したい。

サトノダイヤモンドの3歳秋は菊花賞を最大目標に据えた。能力は感じる走りをしながら届かなかった春2冠。最後の1冠をなんとしても手にしたかった。ディーマジェスティも同じく菊の舞台へ。そしてマカヒキは遠くフランスの凱旋門賞へと向かった。

2016年の競馬界では、キタサンブラックが僅差で天皇賞・春を制しGⅠ2勝馬になったものの、絶対的王者のモーリスが安田記念でロゴタイプに敗れると、宝塚記念ではキタサンブラックと、現役最強と謳われたドゥラメンテが伏兵マリアライトに敗れるなど波乱も目立った。ドゥラメンテはレース後ハ行と診断、結局2度とターフに戻ることなく引退となった。そのため秋の戦いを控え、「最強世代」による世代交代をうわさする声もあった。

サトノダイヤモンドの秋初戦はGⅡ・神戸新聞杯が選ばれた。実績断然だった彼の単勝オッズは1.2倍。しかし圧倒的なオッズに反して、着差はわずかクビ差だった。

サトノダイヤモンドは勝利した……しかし、伏兵ミッキーロケットに迫られての辛勝だった。皐月賞13着から500万、1000万条件を勝ち上がってきた上がり馬にここまで迫られるとは、サトノダイヤモンドは成長していないのではないか?という声も上がった。

しかし私は、むしろ一度は完全に交わされる勢いから差し返したことを評価したいと思っていた。他の馬にマークされるダントツの1番人気で勝ち切ることはどの馬にでもできることではない。

GⅠ・菊花賞。

私は府中のスタンドから応援していた。

私は賢い馬が好きだ。賢い馬を見ていると本当に心が通じている気持ちになる。

また、オルフェーヴルやゴールドシップのようなやんちゃな馬も趣はあるものの、私はおっとりした優しい目をした馬が好きだ。だから、サトノダイヤモンドを好きな理由もそこにある。

菊花賞においてはその賢さが重要だと私は思っている。競馬における賢さは、勝負所まで力を温存し、鞍上のゲキには瞬時に答える力として発揮される。サトノダイヤモンドにはその賢さはデビュー時から備わっていた。君らしい走りをしてくれればきっと大丈夫だ、きっと勝てる、絶対勝てる。今までで一番強く信じていた。

サトノダイヤモンドは1番人気の2.3倍。2番人気は東の前哨戦セントライト記念を制した皐月賞馬ディーマジェスティで3.2倍。あとは二桁オッズだった。

 秋の京都は穏やかな風が吹いていた。雲の隙間から日が差し込んでいた。

レースが始まる。サトノダイヤモンドは今日もエアスピネルを見ながら中団やや前目で最初の4コーナーを回る。1000m59.9で縦長の馬群はゴール前を通り2周目に入る。向こう正面、馬の出入りが激しい展開になるがサトノダイヤモンドはマイペースを貫く。後ろでディーマジェスティは彼をマークする。3コーナー、ペースが上がりサトノダイヤモンドも加速していく。

4コーナー、サトノダイヤモンドが持ったままで上がってくる。いい手ごたえだ。並びかけるようにディーマジェスティもムチに答えて上がっていく。

直線に入る。持ったまま1完歩、2完歩、ぐんぐん加速する。ルメールが追いだすとたちまち先頭に躍り出る。残り200m、ディーマジェスティとの差は開く。行ける。内から差し返すエアスピネル、外から追いこむレインボーラインが迫る。しかし先頭はすでにセーフティーリードだった。

「サトノダイヤモンドゴールイン!!!サトノダイヤモンド、完勝でした!!」

堂々たる完勝劇だった。寒空の下疾走したきさらぎ賞で、私のヒーローとなったサトノダイヤモンドがそこにはいた。あと一歩のところで涙を呑んだ春のクラシック。雌伏の時を経てついにつかみ取った最後の一冠。譲れなかった最後の一冠。1番人気に堂々と答えての優勝。

額に刻まれたダイヤモンドはまさにその時誇り高く、光り輝いていた。

私は直線残り200mあたりから鳥肌が立っていた。よしっ、いいぞ、行ける、行ける、行ける!ただ叫び続けていた。そして勝った瞬間拳を天に突き出していた。本当に嬉しかった。

この勝利は里見オーナーにとっても初めてのGⅠタイトルだった。馬主になって四半世紀近く経ってようやく掴み取った栄冠だ。里見オーナーはGⅠを獲れないというジンクス「サトノの呪い」は、この時完全に払拭された。事実、この年の年末はGⅠを勝てなかったことが嘘のように、GⅠを立て続けに3勝もしてしまう。このサトノダイヤモンドの勝利がツキをもたらしたのかもしれない。

鞍上のC・ルメールは、初のクラシックのタイトルをデビューから乗り続けてきたサトノダイヤモンドで獲れたことに感極まって涙を流した。繰り返し、繰り返しポンポンと愛撫し彼を讃えた。

池江調教師も満面の笑みでルメールに、サトノダイヤモンドに寄っていった。どこかほっとした表情にも見えた。勝つことを最も期待されている1番人気でGⅠを勝つことの重み、責任、そして達成感を感じている、そんな表情にも見えた。

この1勝は、すべての関係者にとって悲願の1勝だった。

最高の配合をし、高額で競り落とし、実績ある厩舎に預け、トップレベルのジョッキーを配したサトノダイヤモンド。1番人気で必然にも見えるGⅠ勝利の裏には、幾多の関係者の勝利への執念があった。

その結晶こそが、ダイヤモンドだった。

菊花賞の2着は9番人気レインボーライン。

彼はのちにGⅠ・天皇賞春でこの日のような見事な追い込みで優勝、そのまま惜しまれつつ引退することになる。この馬も第2の馬生に期待したい。

3着は6番人気まで落ちた堅実派エアスピネル。距離不安を持たれていたが、見事払拭し、この日も掲示板を確保した。クラシック後はマイル路線でGⅠ2着の実績を上げている。この馬が戴冠する光景も見てみたい。

菊花賞を制したサトノダイヤモンドの次走は暮れの大一番・有馬記念に決まった。ダービー馬マカヒキが凱旋門賞で惨敗し休養、ディーマジェスティも菊花賞ののち挑んだジャパンカップで惨敗するなど、「最強世代」のライバルであり同士が苦境に陥る中、この馬が力を見せるしかなかった。そしてヒーローは「愛馬」との初対決を迎えることとなる。

有馬記念。

それは暮れの大一番で、競馬を普段やらなくても有馬記念だけは賭けるという人がいるほど、日本国民の年末の風物詩とも言える大イベントだ。TTGの熱戦やオグリキャップ奇跡の復活、ディープインパクトやオルフェーヴルの引退レースなど語り継がれることの多いレースである。

その年の有馬記念の日、私はあろうことか、若気の至りで前日の夜にカラオケ・オールという愚行をしたために、次の日起きても有馬記念を見に行こうという気にもなれなかった。この後熱戦が繰り広げられることも知らずに、家でゴロゴロと世界一怠惰なクリスマスを過ごした。今思えば、痛恨の極みであった。

閑話休題、有馬記念に戻ろう。

1番人気はもつれたが、最終的に2.6倍でサトノダイヤモンドとなった。唯一の「最強世代」からの参戦だった。ここまで7戦して3着内を外さない安定度、距離適性から人気もあったが、一方で初の古馬との戦いで力関係がどうか、中山競馬場のコース適性はどうかなど、不安材料もあった。

2番人気は2.7倍でキタサンブラック。この馬もダービー以外はすべて3着以内という堅実的な逃げ馬で、前走のGⅠ・ジャパンカップもマイペースで逃げ切り、GⅠ3勝目を挙げている現役屈指の競走馬であった。

血統は地味でデビュー当初はそれほど人気もなかったが、走っているうちに実力でみんなの「愛馬」となってきたキタサンブラックと、超一流の血統で噂に違わぬ走りをすることでヒーローであり続けてきたサトノダイヤモンドはどこか好対称の対決にも思えた。

3番人気は前年の覇者、ゴールドアクター。前走ジャパンカップではキタサンブラックに敗れているが、得意の中山で巻き返しを図っていた。以下GⅠ2着三回と実績あるサウンズオブアース、「大魔神」佐々木主浩氏の愛馬シュヴァルグラン、宝塚記念を制した牝馬マリアライトなどそうそうたる古馬勢が顔をそろえていた。

ゲートが開く。注文通りの逃げでマルターズアポジーがリードを広げる。2番手キタサンブラック、3番手ゴールドアクターは大方の予想通りだ。サトノダイヤモンドは今日も中団でゴール板を通過し2周目に入る。1コーナーから2コーナーでサトノダイヤモンドは位置取りを上げ4番手シュヴァルグランに並びかける。

向こう正面、キタサンブラックの直後にサトノダイヤモンドがいる。これは大丈夫なのか、いやいい位置なのか。かかっている様子はない。3コーナー、逃げるマルターズアポジーをキタサンブラックが捉える。4コーナー、キタサンブラックにゴールドアクター、サトノダイヤモンド、捲ってきたシュヴァルグランが襲い掛かろうとしている。

直線に入ってキタサンブラック先頭、ゴールドアクターが並びかける、しかし抜かせない。残り200m、ゴールドアクターをキタサンブラックが振り切って1馬身、サトノダイヤモンドは懸命に前を追う。残り100m、サトノダイヤモンドがもう一度伸びてゴールドアクターを、そしてキタサンブラックを交わしにかかる。「サトノダイヤモンド3番手から前に接近!3番手から前に接近!」と実況が叫ぶ。

「キタサンブラックか、サトノダイヤモンドか、並んでゴールイン!!」

わずかに──しかし確実に、サトノダイヤモンドはキタサンブラックを差し切っていた。 

やった、本当に勝った。ルメールの好騎乗に答える見事な走りだった。

良血馬としてのプライド、菊花賞馬のプライド、「最強世代」のプライドが残り100mで彼をもう一回加速させた。関係者の、そして応援するすべてのファンの思いを力に変えて、古馬の壁を打ち破った。

暮れの大一番で、ダイヤモンドが類い稀なき光を放った。

もちろん2着キタサンブラック、3着ゴールドアクターの走りも見事だった。人気馬三頭の鎬の削り合いは痺れる程だった。名勝負は名馬たちが闘うことで初めて生まれる。名勝負が並ぶ有馬記念に、また一つ新たな名勝負が増えたな、と私は思った。

この有馬記念を制したことで、現役最強馬争いに名乗りを上げたサトノダイヤモンド。更なる飛躍が期待された2017年シーズン、始動はGⅡ・阪神大賞典だった。

実績馬シュヴァルグランがいながら単勝1.1倍はこの馬への期待の表れだった。そしてその期待に応え、見事快勝する。

一方みんなの「愛馬」キタサンブラックは、その年GⅠに昇格した大阪杯を危なげなく勝利し、4つ目のGⅠタイトルを手にした。

そして両雄は、二度目の対決を迎える。

天皇賞春。それは天皇盾をめぐる由緒正しき一戦である。特徴は京都競馬場を一周半し3200mを走るという長距離戦ということにある。スピードの持続力やどれだけ折り合って運べるかが勝負のカギとなる。

1番人気キタサンブラックは2.2倍、2番人気サトノダイヤモンドは2.5倍、文字通り2強の様相を呈していた。3番人気、サトノダイヤモンド世代で6戦4勝のシャケトラが9.9倍、前走2着のシュヴァルグランが12.0倍で続く。

2強ともいわゆる賢い馬で、無駄に道中引っかかることもほとんどなく、かつ鞍上の指示には素直に従う。同じ淀の長距離戦である菊花賞を両馬とも制していることからも、適性は文句なしだった。

現役最強を賭けた第2ラウンドの開幕を告げるファンファーレが、高らかに鳴り響く。

ゲートが開いた。キタサンブラックは2番手、事実上の逃げの位置にいた。サトノダイヤモンドは中団前目につけた。淡々としたペースでレースが流れる。3コーナーでキタサンブラックが加速、追いていかれないようにサトノダイヤモンドも加速をつける。4コーナーを回って直線へ。

キタサンブラック先頭。キタサンブラック先頭。2番手シュヴァルグランとの差は2馬身3馬身。3番手からサトノダイヤモンド。200mを通過。有馬と同じ展開だ、差せると思った。しかし、そこからなかなか伸びない、届かない。キタサンブラックはさらに伸びる。

「キタサンブラック、キタサンブラック、キタサンブラックゴールイン!!」

強い……呟くように、私は息を吐いた。

キタサンブラックの勝ちタイムは3:12.5。歴代最強馬と呼ばれるディープインパクトが2006年に打ち出したレコードタイムを0秒9上回る新記録だった。彼は間違いなく怪物だった。

サトノダイヤモンドは前走下したシュヴァルグランを差し切れずに3着、完敗だった。

今までにない、本当に力を出し切って完敗したダイヤモンドを初めて見たと感じた。悔しかったが、しかし清々しくもあった。今回もまた、名勝負だった。

負けたとはいえ実力を見せたサトノダイヤモンドは宝塚記念でも好勝負ができるだろうと楽しみだった。次はまたキタサンブラックを倒してくれる、そう信じていた。

しかしサトノダイヤモンドは疲れから宝塚記念を回避、秋の凱旋門賞に備えることになる。結局キタサンブラックとの再戦は二度と成らなかった。

この時はまだ知る由もなかったが、ここから彼の苦難と挫折の歴史が始まってしまう。

秋の初戦は凱旋門賞の前哨戦であるフォワ賞。彼はこの一戦で6頭中4着とまさかの敗北を喫する。続く凱旋門賞でも15着に大敗した。私はこの一戦を東京競馬場のパブリックビューイングで見ていたが、ほとんどターフビジョンに姿を現すことはなかったのを覚えている。

そのころ国内では、キタサンブラックが一般の人の注目をも集めるスターホースとなっていた。宝塚記念はまさかの惨敗を喫したものの、秋初戦の天皇賞・秋を大雨の不良馬場の中サトノクラウンとの死闘を制し優勝、天皇賞春秋連覇の偉業を成し遂げた。続くジャパンカップで3着に入ると引退レースとなった有馬記念で3歳馬スワーヴリチャードなどを完全に抑えきり見事有終の美を飾った。獲得総賞金18億7684万円はテイエムオペラオーの記録を抜き歴代最多だった。

そんなキタサンブラックというスターホースがターフを去った2018年、新たな現役最強馬はどの馬か、競馬ファンの話題にのぼった。

そして2018年宝塚記念。この年に入ってもサトノダイヤモンドはGⅡ・金鯱賞、GⅠ大阪杯と連敗続きだったが。ファン投票1位を獲得した。レースで1番人気にも押された。この馬の走りを楽しみにしている人がどれほど多いのか、あらためて気づかされた。

キタサンブラックのいないグランプリレースは実に6回前、2015年のラブリーデイが勝利した宝塚記念以来のことだった。キタサンが去った後の競馬界において、次なるスターホースが求められた。そして、サトノダイヤモンドはその期待を一身に受けて走った。

レースは3コーナーから4コーナーにかけて位置を押し上げ先頭に並びかける。久々に「いける!」と私は思った。しかし、直線失速し6着。

敗れはしたが、4コーナーの加速はきさらぎ賞を、直線向いた時には菊花賞を彷彿とさせ、久々に勝つイメージが湧くいいレースだったと私は思う。

勝ったのはミッキーロケット。3歳時の神戸新聞杯でサトノダイヤモンドに肉薄した馬だった。かつてのライバルの快挙を後ろから見ていて、彼は悔しさと闘志をみなぎらせていたに違いない。

そして秋初戦、GⅡ・京都大賞典を迎えた。

鞍上は川田将雅騎手に変わった。かつてマカヒキでダイヤモンドをダービーで破った男と、今度はタッグを組む。「最強世代」の夢の組み合わせだった。

人気は僅差ながら1番人気2.2倍シュヴァルグラン、2番人気2.3倍サトノダイヤモンド。1年半前にGⅡ・阪神大賞典で衝突した際には1.1倍だったサトノダイヤモンドが2番人気にまで落ちるとは……とも思ったが、一方で1番人気はいらない、1着が欲しいと言った往年の名騎手の言葉もよぎる。そう、結果が欲しかった。

レースが始まる。大外からウインテンダネスがハナを奪って気分よくマイペースの逃げを打つ。サトノダイヤモンドは中団で、シュヴァルグランを見ながらの競馬だ。3コーナーから4コーナー、先に動いたシュヴァルグランに外から並ぶ勢いのサトノダイヤモンド。  

直線に入って2番手集団から抜け出したのはサトノダイヤモンド。

「ダイヤ行け!!」と私は一心不乱に叫ぶ。

残り250mで先頭に立つ。シュヴァルグランは伸びがない。残り100m、後方勢が足色を伸ばす。しかしダイヤモンドは川田将雅の懸命のムチに応え最後まで伸び続けた。

「先頭サトノダイヤモンド、ゴールイン!!」

ついに勝利した。長かったトンネルを抜けて去年の阪神大賞典以来の勝利を手にした。

私は嬉しさと安堵とで、気が付けば涙していた。

私だけでなく多くの人が待ち望んでいた勝利だったということは、大勢の拍手や歓声を聞けばすぐに分かった。復活を強く印象付ける走りだった。直線、馬群を抜け出し後は逃げ馬を交わすだけという構図は菊花賞の再現の様だった。宝塚記念で感じた復活の気配は、得意の淀で確信に変わった。

一方で、まだまだこんなもんじゃないという思いも起こった。私のヒーローだったサトノダイヤモンドはこんなもんじゃない。もっと輝けるはずだと、自信に満ちた期待が湧いた。

私は彼が競走馬としてもう一度類い稀なき輝きを見せることを強く強く信じている。GⅠの大舞台、府中の長い直線で末脚を爆発させることを。暮れの中山で力強い走りをすることを。屈強なライバルたちを打ち破り、もう一度強く光を放ってほしい。

彼は「最強世代」のプライドを背負って走る。かつて破ったミッキーロケットやレインボーラインがGⅠを制覇する中で、次は俺が、とひそかに闘志を燃やしてきただろう。

志半ばで引退した戦友たちの思いも乗せて、彼は走り続ける。

ダイヤモンドの宝石言葉は『永遠の絆』だ。

固く砕けないことからそう言われるようになったのだろう。関係者やファンとの絆は敗れても決して失われない。どんなに敗れても絶対に砕けない不屈の心を持って、もう一度、あの額のダイヤモンドを目一杯輝かせるのだ。

もちろん、種牡馬としても期待している。彼のような凛々しい顔立ちをした賢い馬が、いつかGⅠのタイトルを取ることを信じている。キタサンブラックや、「最強世代」のライバルの子を破っての戴冠ならなお良しだ。 

その瞳が見つめる先にはどんな輝かしい未来が待っているのか。サトノダイヤモンドの夢はまだまだ続いていく……幾多の願いを、乗せて。

写真:ゆーすけ

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