[競馬タイムトラベル]2001年きさらぎ賞・アグネスゴールド

──例えるならば、長嶋監督時代の読売ジャイアンツの松井秀喜と高橋由伸、あるいは今はなき大阪近鉄バファローズ「いてまえ打線」の主軸タフィ・ローズとフィル・クラークといったところか。

1着同着でもない限り必ず決着がつく競馬というスポーツにおいて、両雄が並び立つケースはあまり多くない。
しかしその年の春、競馬界にはファンを沸き立たせるような“両雄”が存在した。

2001年クラシック世代を席巻した、アグネス軍団の“両雄”にして“僚友”、そして“表と裏”。

アグネスタキオンとアグネスゴールドである。共に1998年生まれで、栗東・長浜博之厩舎所属のサンデーサイレンス産駒。
片や前年のダービー馬アグネスフライトの全弟で、偉大なる兄を上回る迫力と存在感を誇っていた“剛”の栗毛馬アグネスタキオン。一方で弥生賞馬フサイチゼノンの全弟に当たる鹿毛馬アグネスゴールドは、比較的線は細いものの、切れ味と柔らかさを身上にする“柔”の馬であった。

先にアグネスタキオンが2000年12月の新馬戦とラジオたんぱ杯3歳Sを連勝して、まず片眼を開ける。すると、タキオン初陣の翌日にデビューしたゴールドも難なく新馬戦を勝ち上がり、翌2001年1月には若駒Sを制した。この時点で揃って2戦2勝。戦績の額面は甲乙つけ難い両雄であった。
だが、2頭の評判には春の時点ですでに埋め難い差が存在していた。
ラジオたんぱ杯にて、札幌3歳Sチャンプのジャングルポケット・マル外の評判馬クロフネをレコードタイムで一蹴したアグネスタキオンは、早くも「三冠候補」の呼び声高く、牡馬クラシック戦線の主演俳優としてのポジションが与えられていた。
G1・朝日杯3歳Sの勝ち馬メジロベイリー(後に脚部不安でクラシック断念)が人気薄での戴冠だったのも相まって、タキオンへの期待は高まるばかり。

この主演俳優に対し、アグネスゴールドはあくまで助演の役者。言うなれば桜の花に対する梅の花、ひまわりに対する月見草かのような存在に映った。
タキオンとゴールドの主戦騎手を揃って務めていた河内洋騎手は、皐月賞でどちらに乗るかと問われて「どっちかを選ばなければならないとなったら迷うかも知れない」※1としながらも、腹づもりはすでに決まっているご様子。
何しろタキオンは、河内騎手が現役時代の6戦全てで手綱を取った桜花賞馬・アグネスフローラの愛息子である。さらにその母アグネスレディーでオークスを制覇した過去を持つ河内騎手としては、自身にゆかりあるファミリーの結晶たるアグネスタキオンは何物にも代え難く、ひたすらに大切な存在であった。

皐月賞において愛しの河内洋を背に乗せるべく、アグネスゴールドは2001年2月11日、G3・きさらぎ賞に挑んだ。
目下の強敵は3戦無敗のブライアンズタイム産駒シャワーパーティー。同じくブライアンズタイムを父に持ち、やはり3連勝中のダンツフレーム。
ダンツフレームは、当時全盛期にあった「天才」武豊騎手が鞍上だった。

さらにサンデーサイレンス産駒の良血馬フサイチオーレとタイムトゥチェンジは大物感十分。
シンザン記念連対組のダービーレグノとビッグゴールドも侮れない。その当時、出世レースとして定着していた同重賞だが、例年と比しても好メンバーが集っていた。
単勝オッズ1.9倍の1番人気に推されたアグネスゴールド。スタートで後手を踏む形となったが、パートナーの河内騎手は泰然としていた。
人気薄のシュアハピネスが先手を奪って逃げると、その後ろにフサイチオーレや2番人気シャワーパーティーが位置付ける。
無理せず馬群の後ろをついていったアグネスゴールドは、3コーナーで外を回して進出を図った。四位洋文騎手とシャワーパーティーが早めに仕掛け、直線入口にて逃げ馬を交わして先頭に立つ。

だが、その天下は一瞬だった。ダンツフレームとビッグゴールドがワンテンポ遅れた仕掛けで外目を追い込んでくる中、さらに外からアグネスゴールドが飛んできた。
内のダンツフレームとは馬体を併せたが、決して抜かせない。「アグネス」の勝負服柄のメンコを付けた、460kgの褐色の馬体が半馬身差でゴール板を駆け抜けると、京都競馬場は大きな歓声が上がった。

着差以上の強さで、重賞初制覇を飾ったのである。

これでタキオンに先んじて3戦3勝としたアグネスゴールド。

しかし悲しいかな、世間の空気はどこまでも彼を日陰の存在に位置付けたのである。
3月4日のG2・弥生賞。不動の本命馬たるアグネスタキオンを避けるかのように、出走頭数はわずか8頭。そしてタキオンは、どこまでも主役であった。ドロドロの不良馬場をものともせず、この光速の栗毛馬は中山の直線を5馬身差突き抜け圧勝。ゴールドと並び3戦無敗としたタキオン。
だがその内容は濃厚で、僚馬ゴールドを寄せ付けるものでは無かった。
その2週間後、同じ中山競馬場にてシンコウカリド以下を半馬身抑え、アグネスゴールドはG2・スプリングSを制覇する。
4戦4勝でG2制覇を果たしながらも、河内騎手が「余裕は無かった」※2と回顧したレースの翌日、右前脚の骨折が判明。両雄の直接対決は、夢まぼろしと消えた。

皐月賞制覇後、屈腱炎で物語が不意に途切れたアグネスタキオンに対し、裏街道を歩むも2001年春を棒に振ったアグネスゴールドの物語には続きがある。
約半年の休養を経て、9月のG2・神戸新聞杯(当時は阪神芝2000m)にて戦線復帰が叶ったゴールドだったが、そこから本番・菊花賞と2戦続けて8着に敗退。
元々ささやかれていた「距離不安」が現実のものとなってしまった。その後、暮れの鳴尾記念(3着)で復調の兆しを見せたものの、飛節軟腫のため長期休養に入り、そのままターフへと帰ってくることは無かった。生涯7戦の全て河内洋騎手が添い遂げたが、どこか不完全燃焼のまま現役生活を終えたアグネスゴールド。

引退後は静内のレックススタッドで種牡馬入りした後、2007年の渡米を経て、現在はブラジルで種牡馬として活躍。当地ではG1馬も複数送り出しているらしい。
ブラジルと言えば日本から見て地球の裏側……どこまでいっても“裏”を行く、アグネスゴールドである。  

(レース名を含む馬齢表記は施行当時の旧表記で統一)

※1「Gallop臨時増刊・週刊100名馬95アグネスタキオン」
※2「サラブレ」2001年5月号

写真:かず

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