あの日伝えられなかった「ありがとう」〜馬事公苑「馬に親しむ日」訪問記〜

2019年7月26日、アップトゥデイトの競走馬登録抹消が発表された。

アップトゥデイトは、前年の中山大障害で落馬競走中止してから長期の休養に入っていたが、阪神ジャンプSを目標に復帰を目指しているとの近況が伝わってきていただけに、その突然の知らせには驚いた。ただ、これは彼と常日頃から接している関係者が彼の事を思って下した決断なのだろうから尊重したい──すぐにそう思い至った。

 

この知らせを聞いた自分の中では、残念に思う気持ちよりも、安堵の気持ちの方が大きかった。

それはきっと、中山大障害での落馬、そしてその後の顛末を見ていたからなのかもしれない。

 

寂しいけれど、無事に第二の馬生に進めて良かった。

でも、やっぱり寂しい。

そんな気持ちが、正直なところだった。

 

JRAの発表によれば、登録抹消後は馬事公苑で乗馬となる予定、とあった。

そこで調べてみたところ、馬事公苑は東京五輪に伴う施設整備工事のために現在は休苑、宇都宮へ仮移転しているが、設備が整っていないため、一般には公開されていないとの事だった。

一般に公開されていないのならば仕方がない、きっとそのうち何かしらの便りが伝わってくるのを気長に待っていよう……と思っていた、ある日。

JRAのホームページに掲載された、あるお知らせが目に留まった。

 

『2019「馬に親しむ日」を開催します!』

 

毎年秋分の日に行われている「馬に親しむ日」の一環で、普段は非公開の宇都宮の馬事公苑がこの日だけは公開されるのだという。そしてプログラムの中に、厩舎地区を回るバックヤードツアーが組まれていた。

 

このバックヤードツアーにもし参加出来たなら、ひょっとしてアップトゥデイトに会えたりするんじゃないかな?

 

会えたらいいな、たとえ会えなかったとしてもどんな所で暮らしているのか知りたい。

行かずに後悔するくらいなら、行って後悔しよう。

 

そう心に決めて、宇都宮へと向かった。

 

 

馬事公苑を訪れたのは、移転前も含めて初めてだ。

物珍しさから周りをキョロキョロ見つつ歩を進める。

メインアリーナではちょうど馬術競技の紹介が行われていた。テレビでは見たことがあるけれど、こうして目の前で馬術競技を見るのは初めてだ。

 

馬場馬術の華麗なステップ、障害馬術の大きな飛越。いつも見ている競馬とはまた違う魅力が、そこにはあった。

 

 

やっぱり馬が飛ぶ姿って、美しい。

 

そうこうしているうちに、バックヤードツアーの抽選券の配布時間になった。

先週の阪神ジャンプSの日のバックヤードツアーも外れて連敗記録が6に伸びた身としては、ここでなんとか連敗記録を止めたい。

今までのハズレはすべてこの日のためにあったのだ……!

そう、心を奮い立たせて抽選券を受け取る。

 

 

そうだ、一応職員さんにあの事を確かめておこう。

「すみません。もしバックヤードツアーに当選したら、アップトゥデイト号に会うことは出来ますか?」

職員さんはご丁寧にも無線で連絡を取って確かめてくださった。

「ツアーで回る厩舎地区にアップトゥデイトが居ますから、ご覧いただけますよ。」

やっぱり読みは間違っていなかった。100名中当選20名、倍率5倍の狭き門を突破出来れば、アップトゥデイトに会えるんだ……!と鼻息を荒くしていると、職員さんはこう続けた。

「アップトゥデイトはこの後のふれ合いコーナーにも出てきますよ。」

 

……うそっ!?

 

対応してくださった職員さんに丁重にお礼を述べ、すぐさま踵を返してメインアリーナへ戻った。

 

 

メインアリーナに入って来る馬たちの中に、白い馬体を見つけた。遠目でもすぐに分かった。

 

 

 

──アップトゥデイトが、目の前に、居る。

 

ずっと会いたかった、アップトゥデイトが。

あの日負った傷もすっかり癒えたようで、良かった。本当に良かった……。

そう思ったら、こみ上げてくるものを抑えることは、もう出来なかった。ハンカチで汗を拭く振りをして、そっと涙を拭った。

 

一頭ずつ場内に紹介された後、各馬がラチの方へ歩み寄って来た。先程の職員さんが言っていた言葉を思い出した。そうだ、これはふれ合いコーナーなんだ。

 

アップトゥデイトは少し離れた場所でみんなに撫でられている。

 

 

しかし、私もすぐさま、という思いにはならなかった。

 

ずっとアップトゥデイトを応援してきた。パドックで、スタンドで、ウィナーズサークルで、彼の姿を見てきた。いずれの場所もラチで隔てられていて、それがファンと現役競走馬の正しい距離感でもあるのだ──そう思っていただけに、アップトゥデイトに触れることが、なんだかとても畏れ多いように思えたのだ。

しかし、この千載一遇の機会を逃すのは、あまりにももったいない。そう思い直し、意を決して彼の元へ歩き出した。

 

 

──アップトゥデイトが目の前に、居る。

アップトゥデイトと向き合って、立っている。

くりくりとした目が、こちらをまっすぐに据える。

そっと手を伸ばす。鼻先に手が触れる。

 

 

手から彼の体温が伝わってくる。その温かさが嬉しかった。

あの日──中山大障害の日、無事に帰ってきてくれたから、こうして今がある。無事に帰ってきてくれて、ありがとう。

 

アップトゥデイトは乗馬としてのトレーニングを始めてまだ2か月なのだそうだけれど、多くの人たちに撫でられてもおとなしく良い子にしていた。これなら新天地での第二の馬生もきっと上手くいくに違いない。

 

ありがとう、アップトゥデイト。

元気でね!

 

 

かつてJ・GⅠの舞台でアップトゥデイトと共に走った馬たちも新天地で活躍していると聞く。

サナシオンやエイコーンパスは馬術大会で好成績を残しているそうだ。

アップトゥデイトの白く雄大な馬体は馬場馬術でとても映えるだろうし、障害馬術で飛ぶ姿は言わずもがな、だ。

 

そして、2018年春に引退したサンレイデュークは、馬事公苑で乗馬になった後、翌年夏の中京競馬場で誘導馬デビューを果たした。

アップトゥデイトも同じように、馬事公苑を経てゆくゆくは誘導馬になってくれたら嬉しいな。

 

中山大障害の本馬場入場。先導するのはかつての中山大障害馬アップトゥデイト──そんな光景が見られる日がいつか来る事を、願ってやまない。

 

アップトゥデイトに会える保証なんて無かったけれど、来て良かった。こんなサプライズがあるなんて思いもしなかった。

彼とは、次はいつどこで会えるだろう。今からその日が待ち遠しくて仕方がない。

 

バックヤードツアー抽選の連敗記録は“7”に伸びたけれど、帰り道の気分はとても晴れやかだった。

 

 

文と写真・びくあろ

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